200110月から200112月までの日記

おたくんの新製品。・・・2001年10月01日(月)

私の元同僚、おたくんが、木曜日に出張先のスイスからさらに足を伸ばしてオランダにやってきました。今回の来蘭の目的は、最近彼が設立した新会社のための商品の探索。貿易会社といっても今は星の数ほどありますからねぇ。こんなオランダくんだりまでやってこないと、新商品はなかなか見つからんのですよ。

今回、訪れた町はLellystadと申しまして、ライデンから北へ約一時間。この辺はもともと埋立地で、新しい企業なんかが集まってビジネス区域を作っている場所です。新しい土地ですから、変わった企業も多い。またこの辺は風力発電機など、エコ関係が盛んな場所で、それに関係してかどうかは知りませんが環境にやさしい、的な商品を扱っている企業なんかも多く点在しています。

さて、おたくんが遠路はるばるやってきた目的のこの商品、やはり想像していたとおりのエコ物。車の3箇所にこのチップを埋め込んだステッカーのようなものを貼り付けると、排気ガスが減少し、車の安定性が向上し、そしてガソリンの燃費もあがるというスグレモノ。そして装着は、ステッカーをペタ。と貼り付けるだけですから、誰でもできちゃう、簡単装着。

父がよく利用しているオランダ語&ドイツ語通訳の女性から紹介されたこの商品、なにやら「知るひとぞ知る」的な商品なんだとか。湖沿いの小さなオフィスには毎日この商品の問い合わせに電話やメールがひっきりなし・・・。といってる割には、私達が訪問していた2時間の間一度も電話がならなかったのはなぜなんだろうなんていう疑問はともかくとして、とにかくすごいシロモノらしい。

彼らの言っている効果が本物であれば、日本でだって間違いなく売れるでしょう。おたくんは勢い込んでききました。「で、このステッカーの原理はどのようなものなんでしょうか。」彼らはニッコリ笑ってこう答えました。
「宇宙エネルギーを取り込んでいるのです。」

この説明以外いったいどんな説明がいるんだといわんばかりの自信たっぷりな彼らの様子に、気弱なおたくんはその他は何もきけずじまいでした。帰り際に、それではサンプルをいただいて帰りましょう・・と立ち上がると、「人類のために」という大義名分をしょってこの商品を販売していると自負している彼らはこういいました。「タダでもって行くんですか?」

あのですねぇ。日本では新しい商売をするときは無料サンプルというシステムはあたりまえのことなんですが!という私の熱論に負けて、彼らは気前良く(?)二つのサンプルをわけてくれました。

今、そのステッカーは私の車にちんまりと張り付いています。
彼らがいうその宇宙エネルギーを取り込んだこのステッカーの効果が実際のものであれば、私のオンボロジェッタ君はまるでスポーツカーのような性能に変わってくれるに違いありません。

けど、帰りの道すがら高速を飛ばして思いました。行きよりちょっと車の調子がいいみたい・・?さて、この新製品、日本で大ヒットなるか?!おたくん、頑張ってねー!

寿司くいねぇ!・・・2001年10月2日(火)

先週の土曜日、出張者を引き連れてアムステルダムオークラホテルの山里の寿司を食べに行って来ました!山里の寿司、って行ったらヨーロッパ一!って言う人もいるほど、うまーい寿司らしい。もちろんお値段もヨーロッパ一!って話らしいですが。

今日は、太っ腹社長の私がおごるよ!と気前良く言ったはいいものの、寿司カウンターについてもメニューをいただけないことに少し冷や汗をかく。そんな私の内心を知ってか知らずか、私の連れ二人はしょっぱなから飛ばしてオーダーをしまくっている。私も負けじとなんか食べなきゃ・・と思うも、実は私は生魚が大の苦手。寿司屋にいっても私のオーダーはいつも、貝→イカ→タコ→卵→アマエビ→納豆巻き、この順番を繰り返すだけ。両隣の二人は「ハマチ!トロ!ウニ!タイ!」とここぞとばかりに高いもんばっかり注文しやがる。

だいたい、胃潰瘍で前日まで大して食欲のなかったはずのおたくんが、なぜだかこの日に限って「なんか今日は胃の調子がいいなぁ。」などといいつつ、食いまくる。そのくせ途中で「胃にやさしい茶碗蒸しでも食べますか。」なんて言い放ち、3人前の茶碗蒸しまで注文。(うまかったけどなー。)その上見栄っ張りの私はついつい雰囲気に押されてたっかーい白ワインまで注文しちゃうし。

この時点で、口にしたもの全ての値段をみることなく進んでいた。「うまいねー。」といいつつも頭の中では「カードの残高不足ですって言われたらどうしよう・・。」と冷や汗をかきはじめる。

そろそろ食事も終盤に差し掛かったところで、おたくんが「何か汁物食べたいね。」と一言。あ、そりゃいいアイディア、と、ウェイトレスさんを呼ぶ。「すみません、なんか汁物ありますか?お吸い物とか味噌汁とか・・。」するとウェイトレスさんが「本日のおすすめは、日本から取り寄せたマツタケの土瓶蒸しです。大変おいしゅうございますよ!」と、まるで挑むようにあごを上げて言うではありませんか。負けず嫌いの私は(なんでやねん)、「いいですねぇ。じゃあ、それ三つ。」ああああ、やーっちゃったやっちゃった。値段もきかないで、日本から遠くはなれたこの地で、日本から直輸入のマツタケ土瓶蒸しなんてたのんじゃーった。

ウェイトレスさんが去った瞬間、私の両隣が「いいの?マツタケ土瓶蒸しって、日本でもめちゃめちゃ高いぜ。ましてやこんなところで。」などと抜かしやがる。なんだとぉ?だったら頼んだ瞬間に言えよ!知らないよそんなもん。マツタケ土瓶蒸しの値段がわかるほど、いい所で食べなれてないんだ、私は!

やばいかなぁ。どうしようかなぁ。でも頼んじゃったしなぁ。ところが、その頼んだ土瓶蒸し、なかなかやってこない。もうこっちは寿司も終わって、お茶も運ばれて来ている。あれ?忘れられてるのかな?だったらことわっちゃおーかなー。それだったら、恥ずかしくないしなー、と思い、ウェイトレスさんを呼ぼうとした瞬間、寿司カウンター内の寿司シェフが「おーい、カウンターのお客さんの土瓶蒸しまだかー?駄目じゃないか、時間がかかるなら、お時間かかります、ってちゃんとお客様に前もってお伝えしなくちゃ!」と激が飛んでしまった。

私達の後ろで「申し訳ありません。」と丁寧に頭をさげるウェイトレスさんに「もう入りません」なんて言えるわけもなく、結局土瓶蒸しはめでたく運ばれてきてしまいました。

うまかったですよ。ええ。もちろん。でも私の頭の中は「限度額限度額・・。」が渦巻いていたので、イマイチ味がわからなかったような気もする。

んで、結果的には皿洗いのために出張者二人を厨房に置いてくることもなく、無事に払ってきました。3名さま合計でチップ入れて700ギルダー。思わず「思ったより安かったよー。」と言ってしまうところが私の見栄っ張りの最たるところだと思いつつ震える手でサインをしました。

結局、食べたもの全ての単価がわからずじまい。あの土瓶蒸し、いくらだったんだろう・・。


AI・・・2001年10月8日(月)

AIという映画を見た。
ここからは映画の内容を少し書いちゃいますから、これからこの映画を見たい人は今日の日記は飛ばしてねん!

「シャイニング」とか「時計仕掛けのオレンジ」とかを作ったスタンリー・キューブリックという映画監督がいて、彼が20年かけて暖めていた作品がこのAI。残念ながら彼はこの映画を完成させることなく、数年前にこの世を去ったんだけどその彼の意思を受けてメガフォンを取ったのがスピルバーグ監督。今回彼は脚本も書いていた。私の記憶が正しければ、彼が最後に監督・脚本両方書いたのは10数年前の「ポルターガイスト」以来だと思う。それだけ力を入れた作品だったんだろうけど。

はっきり言って、この映画、最悪です。いや、面白かった、おすすめします、でも、見ていてものすごく辛くなる映画だったんですぅ。子供を不治の病で亡くした(と思っていた)夫婦にロボットの子供がやってくる。そのロボットに一度「愛する」ということをインプットしてしまうと、ロボットはひたすらそれをインプットした相手を愛しつづける。そのため、このロボットは売買も譲渡も許されない。ロボットを返品するときは、「処分」されてしまう。

初めは戸惑っていた夫婦も、だんたんとこのロボット、ディビットに愛情を感じ始める。しかし、最新医学が進歩して、彼らの本当の息子が帰ってきてしまう。両親の愛情を一心に集める本当の息子をみて、自分も母の愛情を得ようと四苦八苦するディビット。でも全ては裏目にでて、とうとう返品されてしまいそうになり・・。

ま、その後は映画を見てくださいって感じなんだけど、ママに捨てられてしまうディビットが、もう可哀想で可哀想で見てられなかった。「僕を捨てないで!頑張って本当の人間になるから、いい子でいるから、だから僕を捨てないで!」ってロボットのくせに泣き叫ぶ姿は、「勘弁してくれぇ〜!」状態。その後も次から次へと正視できないシーンが続きます。この「正視できない状態」はホラー映画や戦争映画の残虐シーン以外の映画で初めて経験しました。それほど切なくて悲しい、「これでもかこれでもか」シーンが続出です。

この映画を見て思ったのは、ロボットの彼が、自分が本当の人間ではないから母親に愛されないという彼の思い込み、それさえ変えれば愛してくれるはずだという思い込みが、本当の人間である私達がもちやすい錯覚と同じなんだなぁということ。私達人間も、愛している人に愛されない時に、自分が何か悪いところがあって、それを直しさえすれば愛してもらえる、という錯覚をもちやすい。でも、本当は相手の気持ちも大事なんだ、相手に合わせる、相手のことを考えて自分を変えていく、ってことが必要なはずなんだよね。

このロボットディビット君のようにエゴイスティックに、自分の愛だけを押し付けて「愛してる、愛してるから愛して。」っていう気持ちじゃ相互の愛は成立しないんだよなぁ、としみじみ実感しました。ひとりよがりの愛は、成長しないね。

この映画を一緒に見た友人が、ちょっと最近辛いことがあっておもーい気分になっていたから、映画でも見て気分転換しましょう、なんて軽く見てしまったんだけど、めちゃめちゃ逆効果。終わった後、ため息しかでなかった。(笑)

誤解しないで欲しいけど、悪い映画じゃないんです。完成度はものすごく高いと思うし、さすがスピルバーグ、ってうなっちゃうシーンも山ほどありました。でも、ロボットが本当の愛をさがして繰り広げる感動の映画、なんていう副題を信じちゃいけません。そんな軽い映画じゃないです。子供にこんな役やらすな!って腹も立っちゃったりして。

しかし、あの子役のハーレィ君、すごかった。シックスセンスを見たときにこの子は大物になるぞ!って思ったけど、今回も期待をはずさない名演技です。一緒に見た友人が言ってましたけど、「将来が心配だねぇ」と思わされてしまう演技力。だいたいいままで子役で有名になったやつにろくな前途は待ってなかったからねぇ。家庭崩壊しちゃった「ホームアローン」のマコーレ・カルキンとかドラッグのやりすぎで急死しちゃった「スタンドバイミー」のリバー・フェニックスとかアル中になっちゃった「ET」のドリュー・バリモアとかが脳裏をよぎっちゃいましたよ。

とにかく、重い映画です。でも、名作・・かな?

事故。・・・2001年10月11日(木)

事故っちゃいました。
あとちょっとでうちにつく・・ってところの交差点で、前の車にゴチッ。
ぶつかった相手はタクシーでした。なんでぶつかったのかもよくわからない。気がついたらぶつかっていた。それだけ。まあ、信号が赤だったのでスピードも10kmでてるか出てないかだったから、ダメージはほとんどなし。私の車は無傷。しかし前のタクシーの後ろにはほんの少し線が入っちゃいました。

おりてきた運転手は若い女の人。英語で話し掛けたら「あ!私、英語駄目なのよー。ごめんなさーい。」オランダ人って、事故られて事故った相手がオランダ語が話せなくても自分が英語を話せないことを謝っちゃうのねー。謙虚な人種だわー。なんてまったく関係ないことを考えてみたり。お姉さんにも怪我はないようだけど、なにやら自分は妊娠しているみたいなことを言っている。何?!それはやばいだろう?「だいじょうぶ?」と何度もきくと、「大丈夫よぉ。」とニッコリ。そしてタバコに火をつける。妊娠してるから事故の後遺症を心配してるってわけじゃないのね。そんなことよりも、タバコやめなさい、あんた。

傷もほとんどたいしたことないし、いいのかな?と思っていたらさすがそこはオランダ人。取れるものは取っとこうという魂胆なのかなんなのかは知らないが、保険がどうのこうのと言っている。保険って言っても、これ、どこを修理すんだ?電話でタクシー会社の同僚に電話をして、保険の申請書類を持ってきてもらうという。雨が降っている。寒い・・。でもなぜだか彼女が外に出ているので事故をおこした妊娠していない私が中であったまってるわけにもいかんなぁと、私も外に突っ立っている。すれ違う車が、たいした事故でもないのに道をふさいでいる私達に対して抗議のクラクションを鳴らすと、胎教に絶対よくないようなドスの効いた声でなにやらオランダ語で凄いことを怒鳴り返している姉ちゃん。

そのうち同僚がやってきた。「はーい。」と明るく握手を求められた。車からなにやら紙を持ち出して書き込み始める同僚。その横で5本目くらいのタバコを吸いながら鼻歌を歌っている姉ちゃん。何がおきているのか良くわからない私は、「もう帰っていいですか?」といいたい気持ちを押さえるのに必死。しばらくすると同僚が私のところにやってきて「もうすぐ警察がくるからね。」。何?!警察?!そうか、やっぱり呼ぶのか。そうだよなぁ、一応事故だもんなぁ。でもこれでやっと事故らしくなったな・・などと寒さのあまりわけわからんことを考えていると、後ろに警察の車がついた。オランダの警察にしては尋常じゃないくらい早い。

おりてきた警察官。またもやにこやかに「はーい。」といいながら握手。全然悪い習慣じゃないんだけどね、この握手って。でも事故った相手や警察官に握手を求められるとなんか拍子抜けしちゃうよね。それはともかく、「で、何が起きたの?」ときかれ、「ぶつけたんです。」と答える私。「何でぶつかったの?」ときかれ「さぁ・・。」そこで事情聴取は終わり。住所・電話番号・車のナンバープレートを移し終えた(それもタダの紙切れに!)警察官はにこやかに帰っていった。あれ?ぶつかった場所は見たのか?

日本で一度事故ったことのある私にはこの警察官の行動は不可解極まりない。「あとは保険屋が全部やるから。」という一言が全てを物語ってるんだろうけど・・。っつーか、君達、必要だったのか?ほんとに?警察官が帰ると、姉ちゃんとその同僚も「それじゃあ、おつかれさん。」と手を差し出してまた握手。「ごめんなさいねぇ。」と言ったら姉ちゃんはくわえタバコで豪快に笑って、「気にしない気にしない!」。

お姉さん、おなかの赤ちゃんに悪いからとりあえず、タバコやめようよ。

韓国館オフ&カラオケ2次会・・・2001年10月15日(月)

10月12日金曜日。アムステルダムの焼肉屋韓国館でオフ会が行われました!参加者は総勢13名。途中で怪獣夫とたまえ夫が登場、2次会ではむろが参加しました。

今回の新参者は3名。アメリカ帰りのフォレストさんこと森さん。そしてユトレヒトの大学院生の倫子ちゃんと大学生のかおるちゃん。なーんと24歳と20歳!おばちゃんたちと話しを合わせるの、大変だったでしょー?(笑)倫子ちゃんが金曜日に掲示板に書き込んだ「クラブでオール」の意味が実はわかってなかったと言ったらみんなビックリしてたけど、本当はみんなも知らなかったくせに。無理しちゃってさ。(笑)クラブでオール、ときいて「ボート部に所属しているんだ・・。」と思ったのは私だけではないはずだ!絶対!

それと、開宴(?)前に理奈さんが顔を出してくれました。相変わらずビシッとキメタ理奈さんが部屋に入ってきたとたん、みんな席を立って直立不動になっていたのは一体何故?姐さんを迎えるチンピラのようだったぞ?!理奈さんは愛しの旦那に夕飯を作るために宴会には残念ながら参加しなかったけど、その後も理奈さんの縦巻きロールの話題に花が咲きました。(笑)次回はぜーーーったい参加してください!!

怪獣父・たまえ夫の乱入後、宴会は和やかに終了し、店を出た瞬間に怪獣父が「カラオケにいこう!」と叫んだ。「そーしよう!そーしよう!」と、「今日は出張者が来ていて仕事入れません」と嘘をついてカラオケを休んでいたのもすっかり忘れて私も同意。うさぎもフォレストさんも大賛成。すると怪獣母が、「子供連れていけないから私は帰る。」そうかぁ。お母さんは大変だぁ。とりあえず、カラオケで待っているということで、先に私と森さんとうさぎはカラオケ屋に。ノリノリでカラオケ屋に入ったものの、中にひしめくオヤジ連中を見たふたりはちょっと戸惑い気味。そうだよなぁ。こんなところじゃ普通若い(?)女の子は歌わないよなぁ。

しばらくするとたまえ夫と怪獣母が。怪獣父は言い出しっぺのくせに怪獣の面倒を見ることになったらしく不参加。ま、いつも飲んだくれてるんだからたまには奥さんにサービスせんとね。初めはおやじ軍団に気後れしていたみんなも怪獣母のお酌によりどんどん酒がすすみ、結局全員が熱唱を繰り広げることになりました。たまえ夫のまるでホストのような歌いっぷりに、女性軍みんなメロメロ。

途中で参加したむろも初めは「今日はリンダリンダを歌えるような気分じゃないんで・・。」なんてすましていたくせに、怪獣母の巧みなお酌攻撃により、「おおおおおし!いくぞぉぉぉぉ!」とリンダリンダを熱唱。噂には聞いていたものの初めてきいたむろのリンダリンダにうさぎ&フォレスト&たまえ夫は大爆笑。相変わらずむろのジャンプは凄いね。

そんなわけで楽しくにぎやかにオフ会無事終了いたしました!
またやろうねぇ!

カラオケ最後の日・・・10月16日(火)

昨晩をもちまして約半年に渡る、私のカラオケねーちゃん期間が終了いたしました。昨日は最後ということもあって、いつもだったら1時きっかりに、たとえ店が客で満員になっても「お先に!」と上がってしまう私も、閉店2時過ぎまでお店におりました。月曜日だっていうのに、2時まで粘ってくだを巻いている駐在おじさんたちも、何故だかちょっぴり愛しく思えた最後の夜。思えばいろんなことがあったもんです。

しかしいつも思うのは、何故、この駐在おじさんたちは家に帰るのをそんなに嫌がるんだろうということ。だいたい店にくるおじさんたちはいつも同じ顔で、週に一度は必ず顔を見せる。ひどい人は週に3回、なんてこともある。日本だったらなんとなくわかるこの行動も、なぜオランダくんだりまで来てカラオケ屋に毎週毎週きっちり顔を出すのかが私には全然理解できない。

家には奥さんも子供もおりますね。特に奥さんは、日本での生活を捨てて、旦那のために海外にやってきてるわけです。楽しいアメリカやイギリスならともかく、この平らな、川さえもまっすぐな、雨と風の国オランダで、子供と旦那の世話をして毎日を過ごしてるわけですよ。お友達だって日本から比べれば少ないでしょうし、家事をしてすごすったって、毎日掃除洗濯できるわけでもないし。旦那様が会社から帰ってきたら一緒に御飯食べて、テレビでもみながら今日あったことを話したりしたいじゃないですか。

なのに旦那は毎日のように、カラオケ屋のねーちゃんと飲んだくれてるわけです。それも一度店に入ったら2時まで出て行かない。それってあんまりじゃないですかね?何度もいうように、日本だったらまだいいんですよ。どうぞどうぞと言ってるわけじゃないですよ、念のため。日本でだって、当然毎日家に帰って奥さんと話す時間を持つのは大切だと思いますよ。でも、まだ日本だったら奥さんにも奥さんの生活があるじゃないですか。でも、このオランダでは奥さんは旦那の帰りをまって生活するしかないんですよ。

それをある駐在おじさんに言ってみたら、「いや、でも、土・日は完全家族サービスデーだもん。日本にいるときなんかよりずっとサービスしてるよ。」とのこと。あのですねぇ、そんなのはあたりまえなんですよ。だいたい家族サービスデーってなんやねん!なんで旦那が土日に家族と過ごすことが「サービス」なんじゃい。あったりまえのことじゃないか!土日に家族と過ごさなかったら何すんだ!そんなこと言ったら奥さんなんて365日家族サービスデーじゃないか!

ついつい興奮してしまいました。
ある駐在さんが言ってました。なんで家に帰らないのときいたら、「こうやって飲んでて遅くなって家に帰るでしょ、そうするとね、台所の電気消したままダイニングテーブルにすわって待ってるんだよね。だからこわくて帰れないの。」・・・だったら電気が消えてても怖くない時間に帰ればいいんじゃないの。

カラオケやめたらこのことだけは書いてやろうとずっと思ってました。毎晩毎晩おんなじメンツでおんなじ歌を歌ってる駐在おじさん達!そんなに家に帰るのが嫌だったら、奥さん達を日本に返してあげなさい!その方がお互いのために絶対幸せに違いない!

そんなわけで、半年間、お世話になりました。いろんな人間模様が見れて楽しかったです。

オランダの男?日本の男?・・・2001年10月17日(水)

昨日駐在おじさんたちの生態をちょっと書きましたけど。はたしてオランダ人夫たちはどんな生態なんでしょうね?私は元彼と元々彼がオランダ人。合計6年間オランダ人と付き合った計算になる。私の知ってる限りでちょっと比べてみましょうか。

オランダ人の男性と付き合っていて「こりゃいいなぁ」と思ったのは、彼女の行動にあまり干渉しない点。彼女がどこに行こうが誰と何をしようがあまり何も言わない。もちろん、誰とどこに行くくらいはきいてくるけど、それに対して文句はおろか嫌味を言ったりすることもない。これはなぜかというと、興味が無いとかそういうことではなく、例え彼女が出かけることを良しとしないと思っていても、もし文句を言ったら自分が出かけるときに彼女に文句を言われるのを恐れているためだと思う。まあ、平等に考えているわけだ。それと同じ考え方で家事の分担をしてくれる人が結構多いね。同じ家に住んでるんだから、仕事はちゃんと分けてしようね、みたいな。

その点日本の男の人はそうでもないね。自分の行動は棚に上げて彼女や奥さんの行動を制限する人がかなりいる。自分は毎日飲んだくれてるくせに、たまに奥さんが「今日は近所の寄り合いなの」だの「今日は同窓会なの」だの言って出かけて遅くなると「遅い!何しとったんじゃ!」と切れる人が結構いると思う。やはり残念ながら日本の男性には「女は家にいるもの」という化石のような考え方が根強く残っているからなんだろうなぁ。だから嫁っていう字があるわけだし。

じゃあオランダ人の男性の嫌なところはなんでしょう。ケチだとか、日本人にはあまり理解できない皮肉(本人はシャレのつもり)を連発することだとか、味覚音痴とかそういう細かいことはまあいいとして、やはり、優柔不断さじゃないですかね。とにかくオランダ人は“It is up to you" (君次第さ)が多いと思う。これは男女関係無くオランダ人が連発する言葉。「旅行どこに行きたい?」「君の行きたいところでいいよ。」「じゃあアメリカ!」「高すぎる。」「じゃあフランス」「フランスは嫌いだ」「じゃあイギリス」「バーが11時で閉まる国なんていけるか。」「じゃあドイツ」「おじいさんの自転車を盗んだ奴らの国で金なんか使えるか。」「・・・じゃあどこがいいのよ。」「だから君次第だって。」こんな会話を繰り広げた経験のありません?始末が悪いのは優柔不断のくせに、好き嫌いが多い。

では日本人男性のいいところはどこでしょう?まず、言葉が通じる。(笑)これは単純なようでいて、大事なこと。いくら語学が堪能だったとしても、やっぱり母国語のニュアンスとは違うよね。あとはなんだ?勤勉、時間を守る、日本食が好き・・まあこの辺は別に「いいところ」ってわけでもないわな。(笑)えええっと、日本人男性のいいところは、えええっと、ええええええっと・・。次までに考えておきます。ハイ。これを読んでる日本人男性の皆様、「俺たちのここがすごい!」をお待ちしております。

まあ、オランダ人日本人って言っても結局は個人個人の問題で、個人の性格がすべてなわけで「だからどっちの方がいい!」なんてことは決められないんですがね。でも確かに「傾向」ってのはあるわけで、実際私の知ってる限りではオランダ人の男ってのはだいたいここに書いたような性質をもっていると思う。基本的にオランダ人は女性が強いから、男性が女性と対等にならざるを得ないわけで、みんな自分のお母さんに女性と平等になるように育てられているわけだ。

かたや日本人男性は、昔のふるくさーい習慣に虐げられた(もちろん本人はそんなこと思ってないけどね)お母さん達に育てられているわけだから、意識して無くても女性は一歩下がって・・的に考えちゃうんだろうね。と言うわけだから、お母さん予備軍の私達は、輝けるこれからの日本人女性の未来のために、息子達を調教せねばならないのだーーーー!!!!

えーっと、何の話でしたっけ?

やっと!・・・2001年10月22日(月)

やっときましたよ。私のIDカード。
6月9日が更新日だったんだけど、その1ヶ月前から手続きして早5ヶ月。やーっと手元に届きました。今回から法律が変わって労働が目的の滞在許可は2年更新となったってきいてたんだけど、私のIDは来年でまた更新になってる。まあ、個人経営者の場合は違うのかもしれないけど、それにしてもまた来年の6月になったら更新手続きか・・と思うと気が重い。なんでこんなに時間かかるのかしらねぇ。新規じゃないのよ?更新なのよ?

掲示板でも話題になってたけど、我が町ライデンの外事警察は非常に仕事が遅くて有名です。オランダ在住者じゃない人に説明しておきますと、オランダでは滞在許可証は警察の中にある外事警察という部門が担当しています。日本でいう移民局ですな。この外事警察、各管轄によっていう事もやることも全然違う。私がはじめに滞在許可を申請したオランダ南部の小さな町の外事警察は、申請してからちょうど1ヵ月後にIDを発行してくれた。他にも小さな町の外事警察は仕事が速いらしいという情報があります。

しかし、我が町ライデンの外事警察は大学もあるし、大きな町という事もあってか、仕事が大変遅い。としみちゃんのパートナーシップビザ(同棲ビザ)が申請してから来月で1年経ちますが、いまだにおりてないのは有名な話。みちこちゃんの友達がライデン大学に留学していて、ビザがおりないままとうとう1年後に帰国してしまったという話もある。ほかにもライデンではないけれど駐在が多いアムステルフェーンという町の外事警察で、ある駐在員が娘が数ヶ月オランダに来るのでビザを、と申請したけれど、結局おりないまま娘は帰国した、とか。

これは決して、ビザがおりない理由があるわけではないんです。駐在の娘さんもそうだし、としみちゃんだって、ライデン大学に入学を許可され、留学していたみちこちゃんのお友達だって、みんなちゃんとビザを許可される資格のある人たちなんです。ただ単に、警察の仕事が遅い。それだけのこと。しかし、それだけの事だけれど、このビザがない、っていうのはかなり面倒くさいことです。あのIDカードがなくても、申請中はオランダに滞在することができるということは法律で定められているにもかかわらず、IDカードがないと、保険を買うこともできない、電話線を引くこともできない、運転免許の書き換えもできない。できないことづくめなんです。

で、外事警察に電話して文句を言ったりするよね?そうすると必ずいわれる言葉は「あなただけが待ってるわけじゃないんです!」そんなことは理由にならんだろう、理由に!(怒)申請するときにもらう紙に、「多少時間はかかりますが、この件に関して外事警察に電話をしないように。」という一文がかならず入っています。しかし、こんなに長い間ビザ無しで生活していたら、電話の一本でも掛けて「どうなってるんですか?」とききたくなるのが当然でしょう?そして電話を掛けると、「電話をするなと言ってあるでしょう?」と逆切れされて電話を切られてしまうこともしばしば。君達、何か間違ってないかい?

オランダの皇太子とアルゼンチン人の彼女、マキシマさんが婚約をいたしました。アルゼンチン人の彼女はいくら皇太子の彼女であっても当然、滞在許可を申請します。ところが、このマキシマさんのID,たった1ヶ月足らずで彼女の下に届いたんです。それを聞いて切れたあるオランダ人。このオランダ人はロシア人だかなんだかの彼女を持っていて、彼女のビザはマキシマさんと同じ外事警察に8ヶ月以上も前に申請をしていたのにいまだにIDが彼女のところに届いていなかったのです。彼は勇敢にもこの件で政府を訴えました。まだ係争中ですから、この訴えがどうなるかはわかりませんが、きっとオランダ中の「ビザまち人」たちは彼に拍手喝采を送ったことでしょう。

まったく、さっさと仕事すりゃいいんじゃ。それだけのことなんだけどねぇ。

大人になってなりたかったもの。・・・2001年10月24日(水)

昨日、なんだかしらないけど、自分が小さかった時になりたかったものってあるじゃない?私はなんだったかな?って考えてたら、イマイチはっきり思い出せない。確か小学校の文集には「ジャーナリスト」って書いた気がするんだよね。それはうちのオヤジさんのお兄さんが某大手新聞社のバリバリ国際記者だったもんで、その人の話が多分その文集を書く前の日あたりに食卓で出たから書いただけだと思うなぁ。実際自分がジャーナリストになりたかったかって言うと、全くなりたいと思ってなかったと思うんだよね。(笑)

いったい何になりたかったのかなぁ。あんまり将来のこと考えてなかったのかなぁ。みんなきっと一つや二つなりたい職業が小さい頃にはあったはずなのに、私は全然覚えてない。歌が歌えると気付いた時に「歌手になる!」とか高校で一年間留学した後に「通訳になる!」とか言ってたりしてたけど、実際なりたかったのか、というとそうではない。自分ができることで仕事をするなら・・って感じだったもんね。

考えてみるとね、今私が覚えていることで、「どーしてもこれになりたーーーいい!!!!」って強く思ったことは、小学校の時にやっていた「サイボーグ009」っていう漫画の主人公のジョーのお嫁さんになること。あの頃はジョーに恋焦がれていたもんだ。絶対にジョーのお嫁さんになってあの膨らんだ髪の毛にカーラーを巻いてあげたい・・・と思ってたかどうかは知らないけど、とにかく寝ても覚めてもジョーのお嫁さんだった。

次に来たのが、ジャッキーチェンのお嫁さん。ジョーのことはまだ好きだったけど、所詮漫画の主人公、私とは世界が違うのよ(ってちょっと違うか?)と気がついて、実際の人物に恋をした。小学校高学年から中学校にかけての頃だったと思う。あのころの私は異常だったな。そのころはジャッキーブームだったからテレビでもしょっちゅうジャッキーが出ていた。私はジャッキーが出ているテレビ番組は片っ端から見たし、彼の映画を見て泣きまくった。(どうやって「酔拳」を見て泣けたのかは私も覚えてない)

雑誌や新聞に「ジャッキー」という字があるとすぐさま切り抜いてスクラップブックに貼り付けた。このとき集めたスクラップブックは今でも実家にあるけれど、まるで異常者みたいに、新聞の切抜きで「成龍(ジャッキーの中国名)・マイ・ラブ」なんて表紙に貼ってある。すごいね。このころは毎日のように「私はジャッキーのお嫁さんになるんだ、ジャッキーのお嫁さんになるんだ。」と呪文のようにつぶやいていたっけ。そんな私を見て母は心配して、ジャッキー禁止令を作ったもんだ。「ジャッキーは一日一時間だけ!」どんな禁止令じゃ。

そんな私のジャッキー熱が冷めたのは、ある一枚の手紙だった。私はこの熱い思いをジャッキーにどうしても伝えたくて、英語で手紙を書くことを決心した。まだ英語の授業も始まっていない、中学一年の頃にである!辞書を引き引き、一生懸命書いた。多分今までの人生の中でこの手紙が一番心をこめて、必死になって書いた手紙だろう。内容は、「私は日本に住む13歳の少女です。あなたが好きです。愛してます。日本では女の子は16歳になったら結婚できます。私が16歳になったら結婚してください。私の誕生日は3月5日です。あと2年と?ヶ月です。私はとてもPrettyな女の子です。」(原文そのまま)

この手紙を英語の先生に添削してもらって(先生は「悪い事言わないからやめとけ。」と言っていたけど)、私はこの手紙を香港の彼の元に送った。そして待つこと3週間あまり。待ちに待った彼からの返事が私の元へ!震える手で封を切り、手紙を開く。片手には英語の辞書。

「お手紙ありがとう!君のような素敵な日本のフアンのおかげで僕は頑張っていけるんだ!いつも応援本当にありがとう!ところで、僕から素敵なお知らせがあるよ!今、僕のファンクラブに入会すると、いろんな特典が・・・。」その後は涙でにじんで読めませんでした。この手紙をきっかけに、私はジャッキーの妻になる夢をあきらめたのでした。(あたりまえだっつーの。)

ということは、私が大人になってなりたかったものは、「お嫁さん」?
うーーん、それならまだなれるもんな。がんばろっと。

不思議な光景。・・・2001年10月26日(金)

高速のA4を走っていたら事故に遭遇した。
それまではがらがらだったのに、突然前方で車がブレーキを踏み出したので、この停まり方は事故だろうなぁと思っていたら案の定、5車線ど真ん中に車が一台横をむいて停まっていた。

左側面と後方が激しく損傷している。道路には急ブレーキをかけたタイヤのあとが無数についている。後ろのガラスは割れ落ちている。結構激しくぶつかったらしい。車の横に背の高い若い女性が立っていた。激しいショックを受けているのか、肩が激しく上下に揺れている。少し離れた私の車の中からでも彼女の動揺ぶりが見て取れた。

その今にも倒れそうな彼女の肩をやさしく抱きかかえている長身の男性が一人。何を言っているのかは当然わからないが、「大丈夫、大丈夫」と繰り返しているように見えた。彼女は彼の胸に顔を埋めた。やさしく背中をさする彼。彼らと彼らの車の周りを避けながらゆっくりと走っていく無数の車。なんか映画のワンシーンみたいだなぁとなんとなくうっとり。

彼らを追い越して見ると前方にもう一台の車。ああ、そうかこれがもう一方の車なんだ。右側前方がへこみ、地面についてしまっている。ずいぶん激しくぶつかったんだなぁ。あの後ろの女性には怪我はなかったようだけど、この車に乗っていた人は大丈夫だったのかしら?でも車の中には誰もいない。車の外にも・・誰もいない。周りを見渡しても誰もいない。あれ?車が二台、運転手は一人?そんな馬鹿な。この交通量じゃどこかに歩いていくこともできないだろうし、第一、周りにそのような人は誰も見当たらない。

ん!? もしかして・・。
あの震える女性の肩を優しく抱いていた彼は、事故を起こした当事者のうちの一人だったんだ。しかし、事故を起こしておいて、相手の女の人の肩なんて抱いてるか普通?相手の女も女だ!なんでそいつの胸になんて顔埋めとんじゃい!紛らわしい!ちょっと変だぞ!

オランダ人は、ほんとに変だ。私の事故のときもそうだったけど、なんで事故ったやつに握手なんて求める?他にも、ボロボロになった車の前でコーヒーを飲みながら警察を待っている当事者同士、っていうシーンを見たことがあるぞ。なんで君達そんなにフレンドリーなんだ。まったく変な人たちだ・・。

あの二人はこの事故がきっかけで恋なんて芽生えちゃったりするのかなぁ、なんて思ったんだけど、ま、そこはドライなオランダ人のこと、警察もきて、車も持ってかれて、全てが終わった時には"Doei!" (バイバイ!)と別れて二度とあうこともないんでしょう。

さて、週末だ!
良い週末をお過ごしください!事故にはくれぐれも気をつけて・・。


ま、そういうわけで。(どんなわけで?)・・・11月5日(月)

えー、金曜日の飲茶に来た人にはもう伝えたんですが、私このたび結婚することになりました。相手は、むろです。

オフ会なんかで会ったことのある人たちはみんな、「Nico母とむろさん怪しい。」と思っていたようですが、実はその通り!怪しい関係でした。(笑)なんで今まで言わなかったかって言うと、そりゃ、恥ずかしいからに決まっとりますがな。散々「手下」だの「子分」だの言ってたのに、「実は結婚するんですぅ♪」なんて私のキャラ的には非常に不可能なんざます。

でもまあ、そろそろ回りにもちらほらバレだしたし、うちのかーちゃんやとーちゃんももう知ってるし、そろそろ公表しちゃおうかなー、と思いまして。ネット上でこういう事公表するのってどうなのかなと思ったんけど、基本的にこのホームページに来てくれている人たちは私達の友達が主だし、このページや京子ちゃんのページを通じて知り合った人たちがほとんどだから、やっぱりある意味のけじめみたいなものかしらん?

飲茶オフのときに結婚する話をしたら、みんなから「パーティーは?」ときかれて、実はまだ何にも考えてなかったんだけど、いろいろみんながアイディアを出してくれたのが結構面白かったんで、本当にやってみようかなと思ってる。どこか場所だけ借りて、みんなで料理持ち寄って、ケーキなんかも手作りで。京子ちゃんがあと一押しくらいでウェディングドレスを作ってくれそうな雰囲気だし(笑)、ローズがケーキ作ってくれそうだし、由美子さんなんかは楽器なんか弾いてくれそうだし、としみはNicoの世話でお留守番してくれそうだし(嘘)、ピンチェママはメイクとかしてくれそうだし、結構手に職をお持ちな多種多芸な人たちがここには集まってるから、そんなオフ会的なパーティもいいんじゃないかと、思ってるんですが。どうでしょう。

あ、むろに確認とるの忘れた。(笑)

飲茶の時に「むろさんのどういうところに惚れちゃったんすか?」とのんちにきかれ、つい「駐妻になりたかったから。」と本音が出ちゃいましたが(笑)、まあ、色々皆さんにのろけたい事はたくさんあるんだけど、結婚を決めた一番の理由は、彼の前だと、強がらなくていい自分がいるという事実に気がついたからかな。今まで、いつも「私は強いんだ」っていう態度で人と接してきた(特に相手が男だと)けど、彼の前だと女でいられる。そしてそれがすごく心地よい。それが理由でしょうか。

まあ、先のことなんて誰にもわからないし、実際自分が恋をした過去の相手たちにも同じ気持ちを持っていたのかもしれない。でも、このとき、この場所で、この年齢で、この時期に、出会った彼と結婚をすることを決めたっていうのは、自分の中でタイミングが合ったからなんだと思う。

読んでる人もそうだと思うけど、今、自分の首が痒くなるほど照れくさくて恥ずかしいんだけど、でも、こんなことも一度だけですから。明日からは、ふつーの日記に戻りますので・・。ほほほ。

Nicoの幸せ。・・・2001年11月6日(火)

昨日の結婚宣言以来、掲示板でもメールでもものすごい数のお祝いメッセージ頂きました。こんな私的なこと、ネットで公表していいのかなぁ、ってむろとも発表前まではどきどきしてたんだけど、これほどたくさんの人たちからお祝いメッセージもらえて、本当にうちら、幸せ者です。ありがとう!!それから京子ちゃんが既に私のニットウエディングドレスを編みはじめてくれてます。どんなドレスになるかは彼女のトップページで写真を随時公表してくれるそうなので、皆さんぜひ見に行ってみてください。なんかすごく素敵なドレスができそう!うれしいなぁ。彼女のホームページはうちのリンクから飛べます。

さて、この数ヶ月間、私はフェーンにあるむろの家に通い妻をしております。平日は仕事が終わった後、フェーンに行き、週末はずっとむろんちで過ごしてました。最初の頃、Nicoはライデンのうちでお留守番だったんですね。でもあんまりにもNicoと過ごす時間が少なくて、Nicoがとっても淋しそうだったので、ある週末に、Nicoを車でフェーンに連れてってみたんですわ。

そしたらまあ!猫が違ったというか、なんというか。Nicoはすっかりフェーンのおうちがお気に入りになってしまった。フェーンのおうちには広いベランダがある。そのベランダがとっても気に入ったようで、朝から晩までベランダから落ちるんじゃないかって思うくらいの身の乗り出しよう。そして、家もうちの倍くらいあるもんだから、走り回れるのが嬉しいらしくて、フェーンにくると家の中をぐるぐる駆け巡る。

それでもはじめのうちは週末だけだったので、月曜の朝になるとNicoをライデンにつれて帰らなきゃいけない。運ぶための籠を出してくると、Nicoは危険(?)を察知して部屋の隅っこに隠れてしまう。めったに鳴かないNicoなのに、このときばかりは悲しそうな声で「ニャーン」と鳴いた。そんな週末を何度か繰り返していたら、Nicoはどうやらこの籠に入るとフェーンに連れてってもらえるという事を覚えたらしく、私が平日の夜に家を出ようとすると、自分から籠に入って私の顔を見上げるようになった。まるで「パパんちに行かないの?」と言うように。(この写真を今月のNicoにアップしました。)

そんな姿があまりにもいじらしくて、籠に入って待っているNicoをおいて行くこともできず、とうとうNicoは私より先にフェーンにお輿入りとなりました。そんなわけで、実はNicoはもうライデンにはおりません。毎日ベランダでのんびり外を眺めながら私達のお帰りを待ってます。Nicoはむろにもすっかり慣れ、というか最近では私よりむろの方がお気に入りらしく、隙あらばむろに乗っかってむろの耳を吸っている。ママよりパパのほうが甘いからねぇ。

連れ子が新しいお父さんに慣れてくれるのはいいことです。Nicoも幸せそうだわ。

家族の反応。・・・2001年11月7日(水)

今日、掲示板にNico爺ことうちのオヤジが書き込みしてますが、今回の結婚の件、思ったよりもうちの家族の反応は良かった。なにせ、前の彼氏と別れたときの大修羅場(彼氏とではなく、うちの父と母とのね)があったもんだから、それから数ヵ月しかたってないのに、「結婚しますぅ。」なんて言ったら勘当されちゃうんじゃないかと思ってたもんで。報告はメールでしたんだけど、結構すんなり「おめでとう」という返事が返ってきた。

最初は12月に帰ったときに、挨拶に行くから、という話だったのが、オヤジのヨーロッパ出張が今月末から2週間ほどあって、それには母も来るという。んで「第一次面接を私の出張先のバーゼルで行いたいと思います。」という出頭命令がメールでやってきた。仕方なく、チケットを手配して、そういうことで、という事になっていたのに、昨日になって「オランダで仕事が入ったから、19日に行く。」というメールがきた。それはオヤジ一人だけだったはずなのに、今日になって「やっぱり母ちゃんも行く。」結局、第一次面接はオランダで19日に行われることになりました。早く会いたくてしょうがないらしいね。まあ、気持ちはわかるけどねぇ。

んで、さっき母ちゃんに電話してみた。すると母ちゃん、「そうなのよー、お父さんだけ最初に会うのは面白くないじゃない!お母さんもその時にいたいもの。」と。はぁ。会社の人にはなんていうのさ、って言ったら、「みんな知ってるわよ。だって、朝礼の時に、私事ですけど、長女の洋子が結婚することになりました。でも、お相手は、皆さんの良く知っているオランダ人の彼ではなく、日本人駐在員の方です。って発表したもん。みんなわーって拍手してたわよー。」だって。おいおい。(汗)

会う人会う人に、「結婚するんですの。」って言ってるらしいんだけど、そのたびに、「あ、あのオランダ人の彼じゃないんですけどね。」って付け足さなきゃいけないのよーと朗らかに笑う母。あなた、やっぱり変よ。そして電話口の横でオヤジが「カラオケ行こうよう。」と一言。そんな、娘の婚約者にはじめて会う日にいきなりカラオケですか。そんなの嫌だよ。というと、母が、「でもね、お母さん、むろさんのリンダリンダみたいー!」だって。(笑)

いや、むろのリンダリンダはやめといたほうが・・。と言ったら、「でも掲示板とかでみんなすごく面白い、楽しい、って誉めてたじゃない。でもそうね、初日にリンダリンダはまずいわね。じゃ、日本で。」って、ほんとに見たいのか。「お母さん、なんとなくわかるのよ。サラリーマンがね、カラオケとかで急にキレちゃったりする気持ち。ああいうのってサラリーマンの哀愁を感じるのよね。頑張ってるのね、この人って、愛しくなっちゃうの。」だって。むろはあんまりそういう意味でリンダリンダ歌ってるわけじゃないとおもうんだけど、まあ、いいや。

でもわかんねーぞ。19日に会って、二人を酔っ払わせてしまったら、「カラオケ行こう、カラオケ!」ってなるかもしれん。しかし、あの人たちは、私の婚約者に会いにくるのか?それともただ単に飲みにきたいだけなのか?怪しいもんだ・・。


 ええかげんにせいやっっ・・・2001年11月08日 (Thu)

としみちゃんのビザが一年経ってもおりてない、って話はもう有名よね?去年の11月にやってきて、オランダ人の彼氏とのパートナーシップビザを速攻申請してからかれこれ1年が経つ。その間彼らは、直接外事警察に電話したり、知り合いの市役所関係者にお願いして抗議の手紙を送ってもらったり。いろいろやったんだけど、いまだに彼女の手元にビザは届かず。どーいうことよ?

今年の8月、うんともすんとも言ってこなかった外事警察からやっと一枚の手紙が彼女達の元に届いた。それは、ビザ申請のための必要書類が1枚抜けていた、ということと、カードを発行するための申請料を払ってちょうだい、という手紙だった。「これでやっと申請されるんだわ!」と喜んだものの、そこはオランダ外事警察、そんなすんなりビザをくれるわけがない。足りないといわれた書類も、申請料も速攻で払ったけど、その後はまた沈黙。

ビザがなくても申請中はオランダ内外出入り自由だからまあいいものの(それでもこの前の帰国の時はフィンランドの通関でもめたらしいけど)、ビザが無いと保険もかけれないし仕事もできないし、運転免許だって書き換えられない。不自由なことだらけ。いったいなんでこんなに時間がかかるのか検討もつかないけど、電話したって「待ってるのはあなただけじゃないんです!」って逆ギレされるし。どーすりゃいいのよ、とほとほと困っていた。

最近としみちゃんはピンチェママと一緒に弁当屋をはじめようと、会社の登記をした。そのときもとしみちゃんの登録はできない。だって、ビザがないんだもの!働けないじゃない。としみちゃんは、もう我慢できない!と、だめでもともと、と、もう一度、彼に頼んで電話してもらった。

すると、すんごい事実が判明したのだ。
電話に出た係りの人が、「あー、あなたのビザ、去年の12月におりてますよ。こちらの手違いでIDカードがここに残ったままになってます。あと1ヶ月で更新しなくちゃいけませんから、用紙を送りますから、更新手続きしてください。」

わかる?この意味、わかる?
としみちゃんのビザは1年も前におりていた!
凄いよね。こんなことってあっていいわけ?もちろん電話に出た係りの人間は「すみません」なんていわない。だってこれは彼女のミスじゃないもの。例え同じ会社のだれかがミスをしても、その誰かのミスは彼女があやまることじゃないのよね、オランダ社会では。

謝ってすむとかすまないとかいう問題じゃなくて、これって、ちゃんと国として機能してるの?っていうレベルの問題じゃない?こんないい加減な管理をしている外事警察が移民のコントロールなんてできるわけないじゃん!だいたい、この国にはコンピューターシステムはないわけ?なんで12月にビザがおりている人に、「書類が足りません」っていう手紙が8月に届くわけ?ただ単に、「はやくビザくれ!」ってうるさくわめくからそれをとりあえず静めるために必要もない手紙を出しただけなんじゃないの?

ちょっと探せばすんだこの問題。だって、彼女のビザは、ライデンの外事警察のある人の机の上にあったんだから。ま、なくされなかったことを幸運と思うしかないのかね、もう。

こんな国で暮らしている私達。こんなくそ高い税金払ってるのが本当に馬鹿馬鹿しくなる。

恐怖の新人研修・・・2001年11月09日(Fri)

さむいねぇ。温度計見たら3度だってよ。そんな寒い中、銀行行ってきた。

銀行のドアが開いて中に入ると、キャッシャーのところにはお姉ちゃんが二人座ってた。まず、番号札を取って、自分の番号が呼ばれるまで待ってなきゃいけない。私の前に3人。ところが、いつまでたってもお姉ちゃん達が番号を呼ばない。二人ともじっとコンピューターの画面を見据えているだけ。別にタイプをしているとかいうわけでもないらしい。

そうこうしているうちに私の後ろにもどんどん人は並び、12人くらいになったのかなぁ。けれど、お姉ちゃん達は微動だにせず。いったい何なのさぁ?なんでだれも動かないし何も言わないの?なんか暗黙の了解でもあるわけ?きょろきょろしてみるけど、お姉ちゃん達も待ってる人たちも、じっとしているだけ。かれこれ15分はそうしてたかしら。お姉ちゃん達の後ろから、おばちゃんがぬっと現れてお姉ちゃん達の間に座った。そして何かをお姉ちゃん達にささやいたとたん、番号が呼ばれた。

ががーん。そうだ。これは新人研修だ。やばい。それも二人ともだ。
なにがやばいって、オランダで新人研修に当たることほどやばい事はない。日本の場合だと、例え新人研修でも、お客の前に立って業務をする時点になっていたら、多少の研修を社内で済ませていて、確かにベテラン社員よりは指の動きや下の周り具合は劣るけど、それほど仕事の速さに違いはない。

だけど、オランダの新人研修は、本当に、ずぶの素人を、客の前にぼーんと立たせちゃうのだ。つーか、あんた昨日まではゴミ拾いの仕事してたでしょ?って思わせるような新人を、銀行のキャッシャーなんぞに座らせてしまう。案の定、究極にとろかった。私の前の3人が終わるまでに優に30分はかかっただろうか。単なる金の出し入れに一人10分もかけるなっつーの。

やっと私の番がきた。私のお願いした仕事は、外国チェックの換金だ。こりゃずぶの素人には少し高度だよな。と思ってると、やっぱり。お姉ちゃんは「これは・・・。」と最初から後ろのおばちゃんに頼りっきり。おばちゃんはもう一人の素人姉ちゃんに何かを教えている最中で、「ちょっとまって。」と私の担当姉ちゃんを手で制する。私と姉ちゃんの間で流れる沈黙。時折姉ちゃんと目が合うと、意味もなくニッコリされて、イライラしてるくせにこっちも笑顔で返してみたり。「ごめんなさいね、私、初めてなもんだから。」ええ、ええ、わかってますとも。でもまだ「ごめんなさい」がでるだけ、新人の初々しさが感じられていいよ。これが1年もすると、すっかりふてぶてしくなって、間違ってもごめんなさいなんて言わなくなるんだから。

やっと隣のお姉ちゃんを始末したおばちゃんがこっちを向いてくれ、仕事にとりかかる。もう既にずいぶん客を待たせていることなんざ彼女にはなんともないらしく、一つ一つ馬鹿丁寧に新人お姉ちゃんに教えていく。お姉ちゃんが一個間違うと、「はい、もう一回やり直し。」とえらそーに。また、「このチェックの場合はこうでいいんだけど、例えばああいうチェックがあるじゃない?そういう時は・・。」などと、ご丁寧にも違うパターンを客が持ってきた場合のシュミレーションまでしてやがる。

たかが一枚のチェックに15分以上かけたあげく、最後にまっていたのはプリンターのインクリボン切れ。「あら、インクが切れたわ。少々お待ちください。」と立ち上がるおばちゃん。つーかね、始業開始まだ30分だよ。なんで始業する前に点検しとらんのだ!そして再び流れる無意味な沈黙。私の後ろには既に10人以上がつったっている。いつも不思議に思うのは、なぜ、こういうときにオランダ人は怒らないんだ?日本だったら「ちょっとぉ、早くしてよう。」とごねるおばちゃんの一人や二人が必ずいるのに。一度、オランダ人の元彼に聞いたことがあるけど、それは「失礼」だからだ、という。彼らの仕事に文句をつけることが失礼なのか?なんで金払う側を待たせていることは失礼じゃなくて、彼らのどうしようもないサービスに文句いう事が失礼なんだ?

みなさん、オランダで、レジの姉ちゃんの後ろにもう一人えらそうなおばちゃんが立っていたら、そこは必ず避けて通りましょう。

連れ子の反抗?・・・2001年11月13日(Thu)

さむいっすねぇ。もう本当に冬なんですね。
今からすでに家にある一番分厚いコート着ちゃってます。これからの冬をいったいどうやって乗り切っていけばいいのやら。

掲示板で猫のおしっこのことが書いてありました。何を隠そう、うちのNicoも実はお布団でおしっこ常習犯。ライデンに越してきてから私のベッドでは4回ほどやられてます。ひどい時はゲリ気味のうんちまで布団にやられたことがある。別にトイレで出来ないわけじゃないのに、なんでわざわざ人の布団にまでやってきてするのか。私はこれは彼の「抗議行動」だと思っている。だいたいこういう事をするときは、私の帰りが遅かったり、トイレが汚かったり、かまってやらなかったりしたときに必ずおこるもの。

実はフェーンでも何度かやられちゃってます。むろにも言ってなかったんだけど、むろがフランス出張でいなくて、私も夜の9時ごろまで家に帰って来なかった時があった。ベッドルームをあけるとなにやら鼻を突く匂いが。「これはもしかして・・。」と震える手で布団をめくると、まあるくシミがついていた。あちゃぁ〜。上にかけてあった羽根布団までじっとり染み込んでいる。

なぜか知らんが、そのとき私は「証拠隠滅せねば!」とあせりまくった。これがばれたらむろに怒られる!そう思ったのだ。連れ子が悪さをして、家を追い出される新妻の図が頭をよぎった。慌ててシーツをはがし、羽根布団を洗濯機の中に突っ込んだ。入るかどうかぎりぎりの線だったのだが、何とか押し込んでスイッチオン。ほっとしたのもつかの間、洗い終わってみて唖然とした。取り出した羽根布団はそりゃあもう無残なものだったからだ。中の羽が固まって中で黒くなっているのが透けて見えるし、羽の油分が浮き上がって他のシミを作っている。

それでも経験のない私にはこれがいいのか悪いのか良くわかってなかった。見た目は確かに悪いけど、乾かせば何とかなるでしょ。と乾燥機の中へ。そのとき、電話がなった。フランス出張中のむろからだった。「元気?どうよそっちは・・?」というありきたりの会話を終えたあと、ついに私は告白した。「あのさぁ、実はビールを布団の上にこぼしちゃってさぁ。臭かったから、洗濯機に入れて洗って今は乾燥機の中なんだけど、大丈夫だよねぇ。」わずかな沈黙の後、むろはこう言った。「羽根布団、洗濯機の中にいれて、乾燥機で乾かしてるの?・・・普通、洗っちゃ駄目なんだよ、羽根布団って。」

ああ、やっぱりね。なんか変だと思ったんだよねー。でも時既に遅しだもん。そうかぁ。羽根布団って洗っちゃいけないんだ。後になって会う人会う人みんなに聞いてみたけど、結構常識なのね、これって。はっはっはっ。うちは貧乏だったからさぁ、羽根布団なんてなかったんだもーん。っていう言い訳もあんまりきかないくらいの常識なのね。ほほほ。

乾燥機から出てきた羽根布団はすっかりつぶれてぺしゃんこになっておりました。でも、まだちゃんと掛け布団として機能してるけどなぁ。しかし、問題は羽根布団ではなかった。それから数日後、洗濯機を使ったらドラムが回らなくなっている。どうやら羽根布団を洗った時の重みに耐えられなかったようだ。壊れた時に「羽根布団のせいじゃない?」とむろに言われたけど、私は「そんなことないよー。その後もまわってたもーん。」って答えたけど、実は、その後まわしてないのでわかりません。多分羽根布団のせいでしょう。すんませーん。

その後Nicoはもう一度私達のベッドでおしっこをした。そのときはトイレが汚かったのが原因。さすがにこのときは証拠隠滅をすることが出来なかった。だってむろが寝ている横でしちゃったんだもん。とほほ。しかし、むろはそんな出来の悪い連れ子を叱るどころか、「しょうがないよねー。トイレが汚かったんだもんねー。」と逆に私を責める寛大さを見せた。・・ふん。

Nico、連れ子は連れ子なりに苦労するだろうけど、お母さんの立場をこれ以上悪くするのはやめてくれ。

ご対面・・・2001年11月22日(Thu)

そのときはやってきました。
ホテルからむろの住んでいるアパートに向かう私と父と母。否応にも期待は高まる。父も母も心なしか緊張気味。父の口数が少なくなっているのに気付く。アパートに着いて、車をおりる。するとおもむろにポケットから口臭スプレーを取り出して口に吹きかける父。「お父さんがむろにちゅーするわけじゃないんだからさ。」とからかうと「会って、“お父さん口くさーい。”なんていわれたらヤダもん。」と。なんだそりゃ。

むろが中から私達を出迎える。スーツ姿だ。「はじめまして。むろです。」「どーも、どーも。」「はじめまして、母です。よろしく。」狭い玄関先でぺこぺこ頭を下げあう三人。ちょっとおかしい。父が「自分の家なのに、スーツなんて着てなくていいんだよ。」と一言。むろは「ま、一応最初のご対面くらいは、と思いまして。」と答える。なんか変な会話だ。

リビングに通され、ビールを用意するために台所に向かうむろを追いかける。「緊張してる?」ときくと「かなりね。」と苦笑い。ビールをもってリビングに戻る。父と母は部屋をきょろきょろ見渡している。「やっぱり駐在さんっていいところ住んでるのねぇ。洋子の所とは大違い。」そりゃそうだ。「部屋がとてもきれいね。むろさんきれい好きなのね。」あの、掃除したのは私なんですけど。母には私が部屋をきれいに出来るという事が信じられないらしい。

むろも加わって乾杯。一息ついて会話が始まる。なんだかどうでもいいような話に終始する。「あのさぁ、はじめて婿さんに会うんだから、こんなどうでもいいような話、今する必要ないんじゃない?」ときくとむろが横から「いえ、どうぞ、最初はこんな感じで進めてってもらえた方が僕の緊張もほぐれますんで。」と私に敬語で答える。それを聞いて笑う父母。だめだ、かなり固まってるよ、むろ。

緊張のあまり会話が続かなくなると、Nicoに話題が集中する。知ってか知らずか、Nicoは私達4人の間をぐるぐると行ったり来たり。こういうときに猫とか犬とかいるといいよね。間が持って。(笑)とりあえず、レストランに行きますか、と立ち上がり部屋を出る。母にこの家の一番の目玉、トイレを見せる。まるでホテルのトイレのような中身に、母ちゃんうっとり。「素敵ねぇ。」

フェーンのちょっと有名な中華レストランに予約を入れておいた。席について、まず父が「ビール!」。緊張をほぐすためなのか?それとも便乗してるだけなのか?注文も終わって、食事も運ばれ、ワインも出てきて、だんだん和やかな雰囲気に。父もいつもの調子が出てきたようで、「夫婦円満の秘訣は・・。」なんて演説ぶり始める。母は父のいう事にいちいちコロコロ笑っている。むろは相変わらず緊張していてせっかくのロブスターも二切れほどしか口にしていなかったけど、父の矢継ぎ早の質問に一つ一つ丁寧に答えていく。そんな様子を横目に、このときとばかりにがっつく私。ロブスターの半分は私が一人で食ったな。けけけけ。

「こんながさつな娘なんですけど、むろさんはこの子のどこが好きなんですか?」と私も一度きいてみたかった質問を母が投げかけた。むろは照れながらも、「彼女は見ためはコワモテですが、とてもやさしい人だと思います。」と答える。ちょっとまて。見た目はコワモテ、ってなんやねん。ヤクザか私は。その答をきいて「そうよねぇ。」とうなづく父と母。おい、うなずいてるな、そこ!突っ込めよ。「コワモテ、ってなんじゃ!」って!

食事も終わり、さて、どうしよう。すると父が「ホテル行って一杯飲もう!」。飲むんだな、やっぱり。時差ぼけのため、母はホテルに帰ると「もうだめだぁ。」とギブアップ。部屋に母を送り届けてから戻ってきた父は「さあ、大人の時間はこれからだ!」と母の前では吸えなかった煙草をぷかぷか。お酒をがぶがぶ。大人の時間ってなんやねん。上機嫌の父は「いいねぇ、むろくん。君、かなりいいよ。僕は君が好きだな。」と一言。「恐れ入ります。」と横で頭をさげるむろ。

父と別れて家に帰るとむろは倒れこむようにベットに潜り込み、そのまま沈没。どうやらかなり緊張していたみたいねぇ。お疲れ様でした。こんな父と母ですけど、これからよろしく。

お引越し!・・・2001年11月29日(Thu)

今日はりつこさんのお誕生日です。おめでとう。また少しの間だけ同い年だねー。来年はオランダで仕事できるようになるといいねー。いまごろ日本で飲んだくれてんだろうな。いいなぁ。私も一緒にお祝いしたいなぁ。

さて、本日、新しいオフィスを契約しに行ってきます。
思えば一年前。廃墟同然のこのアパートのいったい何を見て私は契約に踏み切ったのかを今思い出すことは出来ませんが、あれから一年。辛いことの連続でした。

極寒の部屋。止まるシャワー。消えるテレビ。漏れる水。はいてもはいても入ってくる廊下のホコリ。どっから出てくるんだくもの巣。のれんに腕押しの大家。Nicoですらいつかなかったこの部屋。数々の怪奇現象(?)に耐え、やっと、1年の期間満了を迎えることが出来ます。それに先立って私は新しいオフィスのハンティングを行ってまいりました。

新しいオフィスはアムステルダムにあります。Bergen op Zoom → Leiden → Amsterdamとまるで出世魚のようにランクアップしていく私の今度のオフィスは最終地(?)にふさわしい素晴らしいオフィスです。

オフィスビルディングの中に入っている一室を借りるのですが、今度のオフィスにはなんてったってオフィスデスクがある!今までのように、ダイニングテーブルにPCとその他もろもろを広げまくって仕事をするのとわけが違う。そして会議室も借りれちゃいます。社員一人で会議室もないだろう、とお思いでしょう。しかし、社員じゃなくたって私がいれば借りられるんですこの会議室。ということは、裏室bbsメンバーで会議することも可能です。そこでひそかにオフ会だって出来ちゃいます。さすがにそこで結婚パーチーする気にはなれませんけどね。

そしてなんと!秘書がいるんです!秘書ナンシー!かどうかは知らないけれど、秘書がいるのよーん。そのビル全体の秘書だから、私個人の秘書じゃもちろんないけれど、もし私を訪ねてくる人がいたら、秘書ナンシーが受付でニッコリとおでむかえ。「洋子さんをお願いします。」とナンシーに告げると、ナンシーは惚れ惚れするような笑顔で「少々お待ちください。」と受け答え、私に内線電話をかけてくれるのです!ああ、素晴らしい!これぞ秘書!

そしてこんな素晴らしいサービスが満載のこのオフィス、今のライデンのアパートより200ギルダーもお安いんです!信じられますか、奥さん!

ああ、生きててよかった・・・。ナンシー、待ってろよ!今いくからな!

受難の旅・・・2001年12月4日(Tue)

先週の金曜日、私とむろはスイスラブラブツアーにKLMの夕方の便で飛び立つはずだった。飛行機の時間は19:25。ライデンを16:00に車で出て、フェーンについてむろと合流して17:30にはフェーンを出れば余裕で間に合う。これが当初の予定だった。ところが、ライデンを出て高速に乗ってしばらく行くと、雨の関係もあるのか、大渋滞。のろのろのろのろいつまでたってもすすまない。まあそれでもあと1時間半はあるから大丈夫、とたかをくくっていたら、この大渋滞、全く動かない。全然すすまない。ちょっとやばいぞと、高速をおりて下を走り出す。しかしここも大渋滞。ひゃー!

そうこうしているうちに17:00も過ぎようとしていた。はやめに会社から家に帰ってきたむろから携帯に電話が入る。「何してんの?今どこよ?」と聞くむろに、「渋滞にはまっちゃってるのー!このままフェーンに帰って、一緒に飛行場向かったらきっと間に合わないから、もう私はここから空港に引き返すからあなたも車でこっちに来て!」と伝える。2台分の駐車場を払うのはちょっと痛いけど、間に合わないよりましだ。「ベッドサイドにある本と、化粧バック持ってきてくれる?あ、あと余計なお世話かもしれないけど、パスポート忘れないでよ!」と注文をつけ、電話を切った。


ところが引き返すにもそっちの方向も大渋滞。おいおい、ほんとにこれで間に合うのか?むろも今からフェーンでて間に合うのかなぁ。イライラが募る。それでもとにかく進まにゃならんのよ。いつもなら10分で付くところを30分かかって空港につく。長時間用のパーキングに車を停める。ちょうどむろからも電話が入り、混んでるけど、時間には間に合うとの事。ああ、良かった良かった。と荷物を持って、ターミナル行きのシャトルバスへと乗り込んだ。さて、チケットの確認しなくちゃ。どこのカウンターだっけ?とバックをあけた。

その瞬間私の頭の中は真っ白になった。
パスポートがない。どこを探しても無い。
そうだ。今朝、新しいオフィスを契約するのにパスポートのコピーが必要だって言われて、バッグからパスポートを出してスキャンしたっけ。その後、そのパスポートは・・・。スキャンの中に挟まったままだ。

しばし唖然とした後、むろに電話をかける。「はい、もしもし。」「あのー、大変残念なお知らせがあるんですが。」「はい?」「パスポートを忘れました。」「・・・・・・・。」

このとき既に18:30.飛行機の時間は刻々と迫っています。さて、私達は無事にスイスに辿り着けたでしょうか。明日の日記に続きます。

受難の旅その2・・・2001年12月5日(Wed)

「パスポートがないって、どうするの?」と電話のむこうのむろ。さすがにむろの声音もむっとしている。そりゃそうだ。この飛行機の時間に間に合わすために、今日は朝1時間も早く起きて会社に行き、17:00にまわりの「あれ?もう帰るの?」という声をかわしながら家に帰ってきたんだもん。それが私のこんな凡ミスで間に合わなかったらむっとするわよなぁ。

そんなことを考えつつ、「とりあえず、今からKLMのカウンター行ってくるよ。次の飛行機に変えてもらえるかどうかきいてみる。今から車でライデン帰っても絶対間に合わないもん。」そう言って電話を切った。ほんの数分前に感じてた安堵感はどこへやら、心の中はどんより曇っている。こういうときに考えるのは、「何であの時・・。」考えても考えてもパスポートがかばんの中にテレポートしてくるわけじゃないのに、考えちゃうんだよね。

さすがに金曜日の夕方だけあって、飛行場はたくさんの人でごった返していた。KLMのカウンターに一目散に駈ける私。カウンター前もたくさんの人が順番待ちをしている。番号札を取ると423.ピンポ〜ンと次の番号を告げる電光掲示板に輝いてる番号は749.あん?どういうこっちゃねん。今受け付けてるのは749で私の番号は423.いったい何時間待てばカウンターに辿り着けるんじゃ?これはもしかしたらランダムな番号なのか?とありもしないことを考えてみて少し待ってみる。しかし次の番号はもちろん750。例え700番台の次に400番台が呼ばれるとしても、あと70人も待ってるっつーことか?そんなに待ってたら、飛行機でちゃうよー!!!

KLMのカウンターの隅っこに係員がいた。とりあえず、次の飛行機があるかないかだけきいてみよう!と走っていく。「すみません・・。」と近づくと「ああ、番号札取ってください。」と冷たい一言。「いえ、飛行機があるかどうかだけききたいんです。」と食い下がる。超!面倒くさそうな顔をしながら彼女は「どの便?」ときき返す。「チューリッヒ行きのKLMなんですけど、19:25の後はありますか?」懇願するようにきく私に彼女はこう言い放った。「それはチューリッヒ行きの最終便よ。」

10tくらいのハンマーで頭を殴られたような(殴られたことがあんのか?)衝撃を覚えながら彼女に礼を述べ、カウンターをふらふらと離れる私。どうしよう。スイス行きって他の路線あるのかなぁ?スイスエアーって今飛んでないんだよね?ってことは経由便?でも今の時間からどっかに経由してその後チューリッヒに飛ぶなんてことできるのかな?もしかすると、明日の朝までチューリッヒにはいけないって事?今日泊まるはずだったヒルトンホテルどうしよう。今キャンセルしたらキャンセル料請求されちゃうよね。むろはなんて言うかな・・。

いろんなことが頭を駆け巡る。時間は18:30。これから電車でライデンに帰ったら19:25に間に合うか?間に合わないだろうなぁ・・。どうしよう・・。と打ちひしがれる私の前にあったのが旅行会社のカウンター。ラストミニッツを扱っている会社だ。すがるようにカウンターの向こうのお兄さんに声をかける。「すみません、スイス行きの飛行機ってKLM以外にまだありますかね?」すると、「ここでは売ってないけど、クロスエアーっていう航空会社があっちのカウンターにあるよ。確か、スイス行きの最終は9時くらいだったよ。」

まじで!一筋の希望の光が私の前に燦然と輝いた!走れ洋子!目指すはクロスエアーのカウンター!

字数制限の関係上今日の日記もここでおしまい。
さーて、私達はスイスに無事辿り着けたでしょうかー。(笑)

受難の旅その3・・・12月6日(Thu)

脱兎のごとくクロスエアーのカウンターを目指して飛び出した私。そのカウンターはホールの一番端っこに位置していた。ぜいぜい息を切らせてカウンターの前へ。お姉ちゃん、ちょっとビックリしながらも「ご用件は?」「すいません!!チューリッヒに行かなくちゃいけないんです。どーしても今日中に!飛行機、ありますか?」そしてお姉さんは微笑んだ。
「ハイ、8:45分発のがありますよ。少し遅れる予定になっておりますけれども・・。」やったぁ!!頭のなかでクスダマとファンファーレが鳴り響いた。おめでとうございます!!

慌てて事態を説明する。「実はパスポート忘れちゃいましてね、これからライデンに取りに行くんですけど、その飛行機間に合いますかね?」お姉さんまたもやニッコリ。「大丈夫ですよ。そのフライト、少し送れて到着予定ですから。」よーしよーし!行けるぞ、チューリッヒ、行けるぞぉぉぉぉ!
すぐに往復チケットを発券してもらう。「このKLMのチケット、どうします?」とお姉さんがきく。うってかわって上機嫌な私は「あ、すてちゃってくださーい。」

すぐさまむろが待っている駐車場へ。車につくなり土下座する勢いで(しなかったけど)「ごめんなさぃっ!!!」と平謝り。「んで、どうなった?」とむろ。事情を説明し、「それじゃ、私これからライデン行ってくるから、待ってて!」ときびすを返す。ダッシュで駅に駆け込み、ちょうど良いタイミングできたライデン行きの電車に飛び乗る。15分後にライデンに到着。空港行きの次の電車は7分後出発。どんなに急いでもこれには間に合わないだろうなあと思いつつ、タクシー乗り場まで一直線。乗り場にはタクシーがちょうど一台停まっていた。よーし、いいぞぉ。タクシーのドアを開けて運転手さんに勢い込んで話しかける。

「あの、これからPrinsenstraatまでいってもらって、ついたらそこで待っててもらって、それからまた駅に戻ってもらえますか?空港に行かなくちゃいけないんですけど、パスポート、忘れちゃったんです!」するとちょっとK-1のマイクベルナルド似の運転手さん、「なにぃ?!そりゃ大変だ!とにかく乗りな!」と頼もしい一言。ドアを閉めて、シートベルトするかしないかのうちにタクシーは猛発進。静かな石畳の街を、タイヤをキュルキュルいわせながらかっとんでいく。こりゃ、次の電車に間に合うか、事故って死ぬかどっちかだな。などと思っているともううちの前。

「ほら、早く行きな!方向転換しておくから!」とマイクが吠える。車を飛び出して、部屋に駆け込んで念願のパスポートを見つけ出す。この、このちいちゃな赤い手帳のせいで・・!と愚痴りつつ、タクシーに駈け戻る。またもや私がドアを閉めたか閉めないかのうちにタクシーは急発進。途中、赤信号にぶつかったけどなんとマイク、「大丈夫、大丈夫!」と言いながらきっぱり信号無視。さすがK-1チャンピオン。(違うって。)

駅に舞い戻った時、時計を見るとまだ5分しか経ってないことに気が付く。あ、間に合うよ、次の電車!たんまりチップを弾まれて大喜びのマイクの叫び声を後ろに電車に飛び乗る。ひゃー。これでチューリッヒに行ける!と実感。

空港についてむろを探し出す。まるでアクション映画を20本くらい続けて演じたような疲労を感じている私とは裏腹に、むろはのんびり本を読みながらティータイム。ちっ。(自分が悪いんだっつーの。)

結局飛行機は1時間以上遅れたので、あんなに血相抱えて急ぐこともなかったという落ちがあったけれども、ま、無事に、チューリッヒ、その日のうちに到着できました。チケット代600ギルダー払ったけどねー。はは。その後、あのKLMのチケットなんで捨てたんだとむろに怒られた。あのチケット、考えたら帰りは使えたんだよねー。そしたらマイルエージもせめて片道分ためられたのにー。

緊急時にはそんな臨機応変に頭がまわらないんですっ!
というわけで、3日かん引っ張ってみましたけど、どうでした?明日はスイス旅行その後をかきますよーん。

スイス旅行・・・2001年12月7日(Fri)

あわただしかったアムスからチューリッヒまでの飛行機の旅。もしかしたら今回はスイスにはいけないかも?とあせりもしましたが、無事、2時間遅れではあったものの、チューリッヒに到着いたしました。

せっかくヒルトンホテルなんていう豪勢なホテルを予約しておいたのにもかかわらず、到着時間がそのとき既に夜中の12時を回っていたため、二人ともそのままベッドに倒れこんでzzzzzzzz・・・・・。寝るためだけに3万円というバカらしい値段を払って翌朝チェックアウト。そのまま父母のまつバーゼルという町に電車でGo!

電車に乗って1時間半。車窓に映る景色を見て二人とも感動。何に感動したかって、それは曲線。スイスには曲線があるんです。オランダの車窓にうつるどこまでも続く直線と違い、スイスの景色には丘や山などの曲線がある。「地球ってやっぱり丸いんだよねぇ。」などと見当違いな感想を述べつつ、電車はのんびりとバーゼルに到着。

父母が泊まっているホテルはバーゼルの中心街からほんの少し離れたなかなか素敵なホテル。チェックインを済ませて、じゃあランチでも食べましょうかとレストランに足を踏み入れると、聞き覚えのある大声が。「おーー!!来た来た!!!」爺婆じゃ。講演で爺の通訳をするおばさんも一緒。私達に声をかける事もせずいきなり「これが俺の義理の息子。」おいおい。まだだっつーの。

とにかく、爺婆はこの旅行中始終嬉しそうだった。私のことなどそっちのけで、むろと話しまくる。二日目の夜に食事に行った時、母が唐突に、「ねえ、洋子のいったいどこが好きなの?」ときいた。その上「ほんとにこの子でいいの?」ときたもんだ。あんたがそんなこと言ってどうするんですか!(怒)爺は爺で「僕の会社が倒産したら面倒見てくれる?」なんておっそろしーこと言ってるし。私の結婚、そんなに邪魔したいんですか!

二日目にむろは爺の講演を聞いた。爺の公演内容は理科系の人がきくとちょっと「???」というような内容なんだけど、むろは居眠りもせずちゃんと最後まで聞いてた。時々爺の言う事に首を傾げていたりもしたけれど、基本的には楽しくきけたようだ。むろに「面白かったです。」といわれて爺は顔をくしゃくしゃにして喜んでいた。

始まりは最悪なたびだったけれど、結局とても楽しい旅立った。ただ、最後の日に、最初に泊まったホテルに携帯の充電器を忘れてきたことを思い出して、むろに私の忘れっぽさを更に印象付けることになってしまったのが返す返すも残念だ。ん?

そうそう、バーゼルで食べたイタリアン、めっちゃうまかった!!パスタもリゾットも、ちゃーんとアルデンテでしたよー。オランダではぜったいお目にかかれないパスタだったね。うん。

と言うわけでスイス旅行の巻きこれにて完。

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