ホームページ開設から20019月までの日記

2000/12/06.....汚い話でごめんなさい。

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お食事中の人は後でよんでねー。

オランダのトイレであります。

オランダのトイレは何かが違う。何が違うかというと、ごらんの通り、中が平らなのであります。平らだと何が違うかって言うと、コトをいたしますと、すべて丸見え、ということなんです。今はそれほどみなくなりましたが、日本の「おしゃがみ式」おトイレなんかもそうですね。

日本の「おしゃがみ式」もそうですが、オランダ式のトイレは、大きい方をいたしますと、大変臭いです。日本の洋風トイレはコトをいたしますと、そのまま坂道を下って水溜りに「ぽちゃん」と落ちていくので、それほど臭くはないですが、オランダ式ですと、そのモノは流すまで、お尻から数センチ、というところにじっとしているわけですから、もし万が一ながーい時間トイレの中にこもってしまうと、そのままのにおいが外に出ても、髪に、服に・・。

しかし、利点もあります。
例えば、どんな状況なのか一目でわかる。「ちょっと色が黒いぞ?」とか「今日のはやわらかいなぁ。」などなど。毎日みていると、調子のいい時とそうでない時の区別もできてくる。「昨日は飲みすぎたな」と思うと、飲みすぎのモノの状況になっているわけです。果たしてこれは利点なのか?と、お思いでしょうが、自分の出したモノを毎日じっくり(じっくりってほどでもないけど)観察するって、結構大事なことなような気がするんです。何かの予防になるか、っていうと、そうでもないような気もするけど・・。

そこで、私は考えた。健康診断のできるトイレ!なんてどうだろう。毎日出てくる小さいのやら大きいのやらをそのトイレにすると、「糖がでてます。」とか「繊維がたりません。」とか「虫がいます。」など。かなり良い健康チェックになると思うんだけどなー。

TO−TOさんの企画室に持っていってみようかな。この話。

2000/12/18.....子宮ガン検診

3週間ほど前に受けた子宮ガン検診の結果が判明した。

オランダでは、入っている健康保険の種類によって、「ガン検診受けてください」などのお知らせが保険会社から来る。1ヶ月ほど前に私も、子宮ガン検診を受けてくださいのお知らせが来ていた。

オランダはハウスドクター制なので、婦人科ではなく、ハウスドクターに検診してもらう。検診のお知らせを持って、近所のドクターに行くと、「本当にやるの?」ときいてくる。どういうこっちゃ?とききなおすと、「あまり子宮ガン検診をすすんでやりたがる人がいないんだよね。」そりゃ、触診だから、すすんでなんてやりたかないけど、やっぱりやっといたほうがいいじゃない!何を言ってるんだこの医者はと、不思議に思っていたら、どうやら何のことはない、自分が検診したくないだけだと言うことが後で判明した。

そういえば、このドクター、多分年のころは私と大して変わらないようだし、きっとあまり今まで経験が無いのだろう。私ときたら、アメリカ在住のときは毎年検診を受けていたし、日本でも2度ほど受けている。別に婦人科が好きだとかいうわけではないのだけれども、そういう検査を受ける機会が何度かあっただけのことなのだ。診察台に上がっててきぱきと服を脱いで、なれた様子で脚を開く私を見て、「経験豊かなんだね。」とドクターが言った。おいおい、それが医者の発言かい。

検診が終わって、「3週間たったら結果が出ますから電話をください。」と言われたことをふと昨日思い出した。

すると、そういえば最近、トイレが近いことに気が付き、時差ぼけでだるいと思っていた体も、もしかしたら何か異常があるのかも、考えてみると、少し下っ腹が痛いかも・・・どっかで読んだけど、子宮ガンは早期発見が難しく、「最近下っ腹がでてきたなぁ」と思ったら、ガンだった、ってことがあるらしい。そういえば最近下っ腹が・・・。

そんなことを考え始めたら怖くてたまらなくなった。おばあちゃんのこともあるし、「死」について少し敏感になっているのか?今、ガンだってわかったら、日本に帰らなきゃいけないのかな、いや、こっちの医療技術のほうがすすんでいるかも・・。恐る恐る、ドクターに電話した。

「あ、この前の人ね!だーいじょーぶ、どっこも問題ありません!異常なし!」やけに明るいドクターの声がちょっぴり恥ずかしかった。

2000/12/19
今日は歯医者。

昨日はハウスドクター、今日は歯医者。嫌な話題だ。

2ヶ月ほど前に、オランダ名産(ドイツかな?)ハリボーというお菓子を食べていた。いわゆる「グミ系」の食べ物なのだが、これがまた粘着性の高い食べ物で、私の奥歯の銀歯がポロリと取れてしまった。

そして2日後、少し古くなった「揚げせん」を食べていたところ今度は反対側の銀歯がポロリ。さすがに2つも取れてしまったら、歯医者に行かないわけにはいかんだろうと、近所の歯医者に電話をした。

オランダの歯医者不足は有名なことで、私のいきつけ(?)の京子ちゃんのホームページでも過去にいろいろこの件に関して議論がなされている。今回、私が歯医者を探したときもやはり、予約を取るのに一苦労した。あるオランダ人の話によると、30年ほど前、オランダには歯医者が山のようにいたらしい。あまりにも多すぎて、患者がこないのでみんなドイツやベルギーなどの隣国で開業した。そして30年経った今、当時の歯医者がどんどん定年を迎え、今オランダは深刻な歯医者不足なんだそうだ。

私が歯医者の予約を取ろうとしたのが10月の下旬。そして何軒も断られたあげくに、取れた予約が11月の28日。まるまる一ヶ月以上先。まあ、痛みはないからいいものの、これが虫歯で痛んでいる人だったらどうするんだろうと疑問を抱いた。

そして、今日は2回目の歯医者の日。1回目は単なるコンサルティングで、今回がはじめての処置日。2本の歯を処置するんだから、当然もう一回こなきゃいかんのだろうと思っていたのだが、なんと45分で2本、完了させた。歯医者はスペイン語なまりの英語で話していたから、多分オランダ人ではないのだろう。サンバだかサルサだかの南国系の音楽を後ろで流し、歌を口ずさみながら時折それにあわせるかのように手足を動かすラテン系の歯医者は、私に少し不安を与えたが、痛みもなく、処置は順調にすすんだ。

だけど、45分間一度も口をゆすがせてもらえなかったのはちょっとつらかった。処置室を出ると待合には7人ほどの患者が待っていた。この人数を一人で処理するんだから、しょうがないかと思いつつ、歯医者を後にした。

とりあえず、もっと歯医者増やしてくださいよ。

2001/02/16....買出しツアー。

海外に来て、だいたいの日本人にとってとても重要になってくるのはまず一番に「食」だと思う。雑食人種のオランダ人とは違い、日本人の体はやはり、白米・しょうゆ・味噌・だし・みりん等の純日本食材を欲するようにできている。しかし、ヨーロッパ、特にオランダではこの純日本食材を調達するのがなかなか難しい。もちろん、金がうなるほどあるのなら問題は無い。日本食輸入を専門に扱っている店に行けば、日本の1.5倍の金額でたいていの物は買える。1.5倍くらいならたいしたこと無いだろうと思われそうだが、オランダの物価は日本の約半分であるということを忘れてはいけない。オランダの物価がベースの収入で生活している私達オランダ在住日本人にとって、「日本の1.5倍の金額」の商品を買うのには非常な勇気がいるのだ。だから「あそこのアジア食材店では日本の醤油が11ギルダーで売られていた」とか「あそこのお米はどこそこより1ギルダー安い。」などという情報交換は私達にとって重要なのだ。

最近、ある駐在さんからアジア食材が非常に安く売られている店を教えてもらった。そして今日、その店にライデンに住んでいる友人二人と一緒に買出しツアーに行って来た。

その食材店は、オランダ全土にちらばるアジア食材店の親玉と言ってもいいほどの規模で、そこにおいてある商品はみなどこよりも安い!私達は狂喜乱舞した。キッコーマンの1リットル醤油が7.95ギルダー!日本米が(多分スペイン産かなんかだろうけど)1キロ27.95!出前一丁が一個1ギルダー!そんなことをきゃぁきゃぁ言いながら店中をぐるぐる回って、お買い物カートはすっかり満載状態。会計を済ましても、「こんなに買ったのに50ギルダー!」と満足度100%。

その後、他の食材店に寄ったりして、11時に家を出たのに、時間はあっという間に過ぎ去って家に帰ってきたのは18時。人間は「食欲」にはあくまでも貪欲なのだ。

そういうわけですので、オランダに友人がいらっしゃる方がオランダにくるときは、手土産は「日本食材」。これ基本ですね。それも「ふえるワカメ」とか「ふりかけ」とか「干ししいたけ」のような、オランダのアジア食材店でも売ってるんだけど、こんなもんにこんなお金は出したくないなぁと躊躇しがちな商品がおすすめです。おほほ。

2001/02/17.....夜のアムス大人のツアー!

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ほらほら、そこのおにーさん、よだれ出てますよ。

日本から、友人が出張の途中にオランダに寄ってくれました。初めてのオランダということで、どこに連れて行こうかと迷ったんだけど、ま、大人の男の人だし、やっぱりこれはあの場所しかないだろうと・・・いうことで、行ってまいりました、禁断の地(かどうかは知らんが)、アムステルダム飾り窓地区!私、夜の女王Nico母が実況中継申し上げます!

昔、遠くから帰ってきた船乗りさんをなぐさめる(?)ために広がったのが、中央駅左側に広がる飾り窓地区。運河沿いに並ぶ家々の窓にはピンクの蛍光灯が怪しく光っている。ブラックライトで照らされたその窓の中には下着姿のおねーさんたち・・。そうです。ここは政府公認(か、みてみぬふりかどちらか)の売春地区。窓から窓を覗き込む人たちをみているとまるでウィンドーショッピングそのもの。違うのは中に立っているのはマネキンではなく、本当のおね-さん達。こうやって歩いていると、なんだかSFの世界か何かに迷い込んだような感覚になってしまうほど、あまりにもこの場所は非現実的。窓の中から妖しげに微笑む美女(実際、きれいな人がとても多い。ブラックライトのせいもあるんだろうけどな・・。)も、まるで感情がなくなってしまった人形のよう。

飾り窓には他にも多くのセックスショップや、コーヒーショップ(マリファナを購入できる店)や、ライブショーなどがひしめいている。人間のもっとも強い欲求をターゲットにしたこの地区は、夜の闇だけではない、異様な暗さがある。しかし、そこを歩いている人たちは一様に明るい。あまりにもあけすけな性の表現を目前にすると、人間はみな思わず戸惑い、笑うことしかできないのだろう。

・・そんなわけで、飾り窓地区をでたあと、ダムラック通りでも有名なTeasersというTバックビキニのウェイトレスが働いている店にも顔を出してみました。時々そのウェイトレスたちがテーブルの上にのってセクシーダンスを踊り始めると、店内は大騒ぎ。でもなんか、みんな単純で明るくていいよなって感じがする。私はきらいじゃない、こういう店。さすがにお父ちゃんを案内することはできんがなー。(笑)

以上、Nico母飾り窓レポートでした。もうちょっと込み入ったこと聞きたい人は私信でどうぞ。(笑)

2001/03/05.....誕生日!

本日は私の
31回目の誕生日。
私の一番の誕生日の思い出といえば、
17歳の時。

その頃、うちは以前にも日記で書いたとおり、オヤジの事業の失敗なんかで貧乏だったんだけど、オヤジがどうしても自分の子供には留学をさせたいと、どっかから金をかき集めて私をアメリカのオレゴンに留学させてくれたわけです。まあ、運良く奨学金ももらえることになったので、そんなにめちゃめちゃお金がかかったわけじゃないんだけど、それでもその頃のうちの家計の状態を考えたらとてもじゃないけど出せる金じゃなかったはずなんだけど。

ホームステイだったんだけど、ここのファミリーみんな本当によくしてくれた。毎月
100ドルのおこづかいが家から送られてくるんだけどね、それも滞りがちだった。そんな私をみて、こっそり机の中に10ドルを忍ばせてくれたりとか、鉛筆やペンなんかの文房具なんかも「スーパーで安かったから、ついたくさん買っちゃったから分けてあげるわ」なんていいながらくれたり・・でも、彼ら鉛筆やペンなんか必要ないんだよね。いつも、私の鉛筆が小さくなり始めた頃やペンのインクが無くなり始めた頃に買ってきてくれてたし。

アメリカでの留学生活も終わりに近づいてきた頃、その頃の学校は「プロムダンス」で一色だった。アメリカの高校は毎年の年度末に、女の子はドレス、男の子はタキシードのダンスパーティーがあって、それは誰もがいけるわけじゃない。
3年生の男の子に誘われた女の子だけがいけるものだから、誘われたらそりゃあもう、大騒ぎだったわけ。私はそのころ3年生に仲の良い男の子がいて、その子からダンスに誘われたんだけど、ドレスなんて買えるわけないし、無理だなぁってあきらめてた。

そんな頃、私は
17回目の誕生日を迎えた。寝ぼけ眼でおきだした私を迎えてくれたのはホストファミリーのハッピーバースデーの歌と、真っ白なドレスだった。あきらめてた私のために、ホストファミリーが町の古服屋さんからこのウェディングドレスを探しだしてきて、ホストマザーが二晩かけてパーティードレス用に仕立ててくれたのだと言う。

今でも、彼らの家の居間にはそのドレスを着て、誇らしげな顔でうつっている私の写真が飾ってある。

お誕生日、ありがとう。

2001/03/23.....あきゅーぱんくちゃー。

旅行の疲れ(つったって、スキーもしてないんだけど)や、最近なんだか調子が悪くて、どーもすっきりしない。その上1ヶ月くらい前から左足の裏がじーんとしびれる感じがする。最近になってそれが痛みに変わってきた。お医者に行こうかと思うけど、お医者に行くような痛みでもない・・。なんちゅーか、そう、マッサージなんてぐりぐりしてもらっちゃったらすっきりするような、そんな感じの痛み。

友達もみんな帰ったし、ちょっとマッサージでも行って来るかなと、ライデンの町を散策する。旧市街の方に2件ほど、いい感じのそれも値段も手ごろなアロマテラピー的なサロンがあるのを以前から知っていたのでそのうちの一軒をたずねてみた。が、予約はなんと5月まで一杯だという。もう一軒をのぞいてみるが、やっぱり予約が一杯だという。しかしもう体は「マッサージがしたい!」モードに入っているので、どうしてもあきらめきれない。

仕方なくセンターに戻ると、あるではないか、あやしげな中国漢方のお店。オランダ語で「煙草をやめられるお茶あります」だの「糖尿病に効く薬」だのが入り口にはってある。もしかしたらここでマッサージもあるかもしんないと思い、意を決して入ってみる。中国人のおねーさんがでてきて「ニーハオ。」とにっこり。「すみません、ここ、マッサージやってますか?」ときくと「マッサージアルヨ。トテモヨクキクネ。」(ちなみに会話は英語なのだが、どうも英語でもこんな感じに聞こえてしまう。)「最近左足の裏が痛いんですが、マッサージの予約を入れたいのですが。」と言うと、「ヨヤクイラナイアルヨ。チョトマテ。」と中へ引っ込んでいく。

しばらくすると40代くらいのやたら元気そうな白衣の先生が、「イラシャイイラシャイ。ニホンジン?オハヨーゴジャイマス。ツカレマシター。」と一人で会話をはじめる。「あのー、足が痛いんですけど。」「ダイジョブダイジョブネー。あきゅーぱんくちゃー、スグナオルアルヨ。チャイニーズティー、ノムトスグヨクナルヨー。コチキナサイ。」

何?あきゅーぱんくちゃー?って針かい?針刺すんかい?針なんてやったこと無いけどだいじょうぶなんかしら。いやチョトマテ。確かばあちゃんが昔「針はよくきくよー。」なんて言ってたな。どうしようかな。まぁいいや、もうここしかないんだからやってしまえ。

心を決めてセンセイの後ろに続く。
小部屋に入るとそこには診察ベットが一台。部屋の中は例の中国漢方薬くさーいにおいが充満している。
「ハイココにヨコニナッテネー。」
はいていたジーンズを脱ぎ、横になるとすかさずセンセイが私の足をむんずとつかみ、足の裏をおもむろに「ぐりぐりぐりぐり。」

うぎゃー!!!!!わー!!!!ぎゃー!!!!!いてててててー。

「ココイタイアルカ?」

痛てえよ!!!っつーか、そんなにぐりぐりされたら悪いとこなくても痛いよ!

「じゃぁココはドウカ?」ぐりぐりぐりぐり。めしめしめしめし。(骨のきしむ音)

ひー!!きゃー!!たすけてぇぇぇぇぇ!!

「ココもイタイアルカ。」
お願いだからもう勘弁して。(泣)

「ソレデハ針をウチマスヨ。」そういって針を取り出した。ここで私は「やっぱりやめます。」と尻尾を巻いて逃げようと考え、腰をうかしたのだが、すかさずセンセイが「ダイジョブ、コレハイタクナイカラ。ニホンジン、皆針スキネ。ニホンジン、ヨク知ってるアルヨ。」とおっしゃるので、このまま逃げたら日本女子の名がすたる!と考え直して、「よろしくお願いします。」と答えてしまった。

しかし。

!!!!!!$○!△?▲∵¥□◎!☆♪!!!!!!

痛みはご想像にお任せします。

まるで電気が走ったかのような痛み。ひーっ。
センセイはにっこりと「イタイ?ゴメンナシャイ。」ってあやまられてもー。(泣)初めの一本はめちゃめちゃ痛かったが、二本目は痛くなかった。が、初めの一本の衝撃があまりにも強くて、思わず二本目を打たれたときに叫んでしまった。するとセンセイ、「ココは痛くナイヨ。アナタオモシロイアルネ。」と笑った。てめぇ・・。いつか、いつか・・(涙)

針を打ち終わってセンセイは「リラックスー。リラックスー。」と腕をパタパタさせるリアクションつきで部屋を出て行った。不思議なことに、針を刺された足がどんどん温かくなっていく。ぽかぽかいい気分でいつのまにか眠りに落ちていた。

30分程するとセンセイが「オワリデスヨー。」といって入ってきた。針を抜きながら「痛くしてゴメンナサイネー。マタ土曜日、あきゅーぱんくちゃーキテクダサイー。ドモアリガト。」とおっしゃいました。

誰が行くもんか。と思ったら料金はしっかり次の2回分をとられていた。くそう。ヤラレタアルヨー。

しかし、確かに足が痛くなくなったなぁ。ふむ・・。

2001/03/25.....激痛!でもキモチィィ?

本日は二回目の針治療の日。予約は12:45分。
実は昨夜、としみちゃんが働いているアムステルフェーンのカラオケバーに遊びに行き、酒を浴びるほど飲み、歌を15曲歌い、朝の4時くらいまで起きていたので、はっきり言って朝の時点では針治療なんて行く気はこれっぽっちも無かったのだ。

が、時間が迫ってくると、やっぱり2回分払ってしまったことと、あの手荒い治療ではあるものの人のよさそうな針のセンセイの顔を思い出すと、やっぱり行くか・・という気持ちになり、しぶしぶ出かけていった。

治療院は今日も満員。オランダ人も針好きなんだわねー。と思いつつ、空いてる席に座ると、おくからセンセイがやってきた。「オォォ!洋子、キタアルネー」(もう一度言うが、会話は英語とあやしいオランダ語のミックスです。念のため。)満面の笑顔で手招きをする。「ゲンキ?ヨクナタ?チャイニーズティー、ノンデルカー。」矢継ぎ早に質問が飛ぶ。「はぁ、まぁまぁ、って感じですね。痺れは取れてますけど、痛みはまだちょっと残ってるみたいです。お茶は毎日飲んでますよ。まずいですねー、あれ。」遠慮なくそういうと「Niet Lekker(うまくない)、ニィットレッカー。」なんでこのセンセイはいつもフレーズを二回繰り返すんだ?

そのときに私は先生にきいてみた。「センセイ、マッサージを代わりにしてもらうわけにはいきませんか?この前、針、すごく痛かったんです。」すると先生、少し考えてから、「OK,ジャ、今日ハマッサージシマショウ。」え?ほんと?やったー!やっと念願のマッサージ!

前回と打って変わって期待に胸躍らせて治療室に入る。今日は、ちゃんとスカートをはいてきたからめくるだけ。さっと治療台に登ると、またもやむんずと足をつかまれ、ぐりぐりぐり・・・。

いて、いて、いて、いてぇよー。(涙)
しかし、がまんじゃがまんじゃ、今日はマッサージなんだから、これからすぐ気持ちよくなれるに違いないのだ。
「ココイタイ?」「ココイタイ?」
あのなぁ、人が絶叫してるんだから、痛いっていちいちきかんでもわかるやろ!!

するとしばらくしてセンセイが、「ジャ、今日ハチガウ針シマショ。」

「ち、違う針ってなんですか?」恐る恐るきいてみると、センセイはある物体を取り出した。それはゴムでできた、そう、スポイトの頭についている、液体を吸いだすためのまるいゴム、あんな感じのものである。

「コレ、針と同じ。でもイタクナイアルヨ。」ほんとか・・?

そして。

・・・ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!

どうしてそんなすぐにばれる嘘つくんだこのセンセイは!!

悪いほうの足にへばりついた3つのまるいゴム。それはまるでタコの吸盤のように吸い付いている。とにかく、痛いんだー!!!!

しかし、センセイが悪くないほうの足に吸盤をへばりつけても、痛みはほとんど無い。それどころか、すぐにぽろぽろと落ちてきてしまうのだ。センセイが何度も付け直すが、右足に吸盤はどうやってもつかない。「洋子ノ右足、ワルクナイネ。ヘルシーネ。洋子ノ左足、トテモワルイネ。ダカラスゴクイタイアルヨ。」

そうなのか。本当にそうなんだ。私はいまさらながら中国四千年の歴史に感動してしまった。センセイ、キミ達はすごいアルヨ!

そして、センセイはニコニコしながら私の顔を覗き込み、「二本ダケ、針打ッテモイイアルカ?」結局打つんじゃねぇかよ。

そして私は足の裏に三つのゴムボールと、両足に二本の針を打たれたまま、一人残された。そしてまた、じんわりとした暖かさと、痛みの中に、なにか心地よいものを感じ、眠りに落ちていったのだ。

気がつくと、センセイがあしもみをしてくれていた。それがまたいてぇのなんの。結局このセンセイ、何やっても全部イタイのね。とほほ。

しかし、今回は前回と違って、痛みも心地よく感じられた。足も前回より更にすっきりとしている。心なしかむくみも取れているようだ。やっぱり中国4千年の歴史は侮ってはいかんと言うことなのか。

しかし、このセンセイ、どうもそんな威厳が無いんだよね。足もみをしている間も、「スシー、ワサビー、ソバー。」としっている限りの日本語を羅列している。治療が終わった後に、「ドモアリガトー」と言われたお返しに、「謝々。」と中国語で返したら、「オー!洋子中国語ハナセルアルネー!ウマイアルネー!」と大感激。調子に乗って、治療院を出るときに「再見。」(中国語でまたねって意味だと思うよ。)といってみたらセンセイは私に抱きつかんばかりのいきおいで迫ってきたので、早々に失礼した。

次回は火曜日。実はちょっと今から楽しみ。こうやってはまっていくのね・・。

2001/04/18 .....寒い。寒いんだよぉぉぉぉぉぉ!!!!

朝、コンタクトレンズを買いに自転車に町まで走った。
もう
4月も半ばすぎてるって言うのに、分厚いコートにマフラーまでしなければとてもじゃないけど出て行けない。その上オランダ特有の強風が、運動不足の私の体にぶち当たってくる。平らな国だから自転車はラクラクよん!なんて人にはしょっちゅう言ってるが、この風が吹いている時は、時速30cmくらいの勢いでしか前に進めないのだ。普段なら5分でいけるところ15分くらいかかって辿り着いた。(歩いたほうがはやいっちゅーの。)髪はばらばら、鼻水は垂れ放題。眼の検査をしてくれたオランダ人のにーちゃんも私の様相にきっとギョッとしたに違いない。

町ではすでに春服が売られている。パステルカラーの中袖や半袖がショーウィンドウを飾っている。靴屋に飾られているのはサンダルやミュールなど。だけど、いったいいつ、どこで、だれが、こんなもん着れるんだ???去年の夏は
1週間で終わった。半袖をきて外を歩けた日が1週間、ということだ。素足でサンダルなんて自殺行為だった。だいたいすぐ雨がふるのにミュールだのサンダルなど履けるかっていうの。売られている服やサンダルはきっとオランダ人が熱いところにバカンスに行く時に買っていくものに違いない。たかだか1週間の為にあんなもん買えるか!

私の友人でオランダ人とスペインで出会ってオランダにすんでいる人がいる。彼女は今、切実に他の国に移住を希望している。理由は「天気と景色」なんだそうだ。オランダの天気にはどうしても、どうしてもなじめない。その上この平らな、川ですら曲がることのないこの景観が許せない。その話をきいた時、「なんちゅー理由だ。」と思った。だが、今、私は心からその意見にうなずくことができる。

オランダには季節の移り変わりがないのだ。そりゃ、花は咲くよ。紅葉もする。雪だって降る。でも、基本の天気は「寒い・強風・雨」なのだ。朝、どんなに天気が良くても一日一回は雨が降る。昨日どんなに暑くなっても次の日に零下になることだってある。その上、山がないから道はどこまでもまっすぐで、川だって曲がることがないのだ。

コンタクトレンズ屋から自転車に乗って家に帰る途中で雨に降られて(お約束)その上風はもっと強まった。やっとのことで家に辿り着き、鍵を出して差し込もうとするが、手袋をしなかった手はかじかみ、鍵穴に鍵が入らない。何度も何度もトライしてやっとのことドアを開けた。家に入った瞬間、思った。

「私ってかわいそう。」

悲劇のヒロインになった小春日和(皮肉)の朝だった。

2001/04/19 .....バイトをはじめた。

アムステルフェーンという町は、オランダで日本人人口が一番高い町である。
空港に近いからなのか、大手日本企業が集中しているからで、日本人人口は今現在
1740人だそうだ。当然日本食品店、日本食レストラン、日本の番組を専門に扱ったビデオやさんなど日本人相手のビジネスが一番盛んな町である。

その町に一軒のカラオケバーが最近できた。
同じくライデン在住のとしみちゃんがそこでアルバイトで働いており、カラオケ好きな私も当然過去に
2度ほど足を運んでいる。私にとってはカラオケほどストレス解消ができるものは無いのだ。

実は私、お恥ずかしながら昔本気でプロの歌手になろうと思っていたことがある。ボーカルレッスンなんかも
2度ほど受けてみた。オーディションも実は応募したことがある。しかし、結果は当然のごとくダメ。オーディションなんかは最初の書類選考(写真選考?)で落ちた。だいたい、なんでボーカリスト募集のオーディションで一次審査が写真選考なんだ?歌も聞く前に落としていいんか!プロのボーカルレッスンを受けたときに言われた事は「君の声は演歌向きだね。」だった。一応ソウル系を目指していた私にその発言はつらかった・・。(ま、ソウルもある意味演歌みたいなもんだけどね!ふん!)だけどほんとに声が演歌向きなのか?それとも顔?むむむ・・。

思わず昔の古傷を持ち出して興奮してしまったが、そんなわけで歌は大好きなのだ。アムステルフェーンのカラオケバーでも歌い放題をいいことに他人の迷惑顧みず歌いまくっていたらそれが受けたのかどうかは知らないが(ただ単に人手不足だろうな)、カラオケバーのママさんから「バイトしてみない?」と声がかかった。

そのバーではお客さんに女の子が一人つくわけで、当然その飲み代はお客さんもち。ただで酒が飲めて、カラオケも歌いまくって、いろんな人に出会える!こんな夢のような仕事は無いじゃないか!と言うことで即決OKした。

ところが。思ったようなもんではなかった。お金を払ってくれるお客さんには悪いが、知らないおじさんと酒を飲みながら話をすることがこれほど苦痛なことだとは知らなかった。話が面白い人ばかりというわけではないわけで、仕事の愚痴や自慢話、挙句の果てにはエッチな発言をうまいこと交わしながらニコニコと接待することの難しさ。仕事中だから酔っ払ってしまうわけにも行かず、客にどんどん酒を勧めるうちに客は当然どんどん酔っ払っていくわけで、その対応の難しいこと。慣れるまでには時間がかかりそうだ。その上歌い放題は歌い放題だけどお客さんからリクエストされる曲は「天城越え」「時の流れに身を任せ」「好きになった人」「銀座の恋の物語」・・・・おいおいおい!演歌ばっかりじゃねぇか!!!

楽して金を稼ごうなんて所詮無理なお話なのだ。とほほ。

2001/5/1.....クイーンズディ。

昨日、430日はクイーンズデイ。前ユリアナ女王様の誕生日。なんで「前」なのかっていうと、現女王のベアトリクス女王の誕生日は1月なので、さむい1月を祝日にするよりも、4月末のこの暖かい時期が祝日のほうが国民の皆さんも楽しいでしょう、ということで、ユリアナ女王が引退してもQueen's Dayを変えなかったんだそうな。えらいわぁ。

それはともかく、前の日記に書いたとおり、私も、ともこちゃんととしみちゃんと一緒にアムスで店を出しました。朝九時にアムスに降り立つと、すでにそこはお祭りの雰囲気。昨日の夜から飲みつづけているであろう酔っ払いたちがあちこちで暴れている。トラムも車の出入りもなく、セントラルステーション前にはすでにお店の準備をしている人たちがたくさん。十分ほど歩いて目的の場所に着くと、ともこちゃんとその彼の正義くん(注・ともこちゃんの彼氏はれっきとしたオランダ人だけれども名前がJustice、「正義」というので内輪では「まさよし」くんと呼んでいる)が私たちの出店の準備をしていた。

ともこちゃんは手作りのビーズアクセサリー、としみちゃんは空き缶で作った灰皿、そして私は緑茶クッキーを売ることになっていた。加えて、としみちゃんは日本からもってきた墨汁と筆を使って「あなたの名前漢字で書きます」という斬新(?)なアイディアでお客をゲットすることにしていた。

10時を過ぎると私たちのいる運河の前のとおりも人通りが激しくなってきた。そして一人目のお客様はとしみちゃんの「名前書きます」を注文した。「Edward」という名前をとしみちゃんは「江戸和土」と書き記した。お客さんは「すばらしぃ!」と感激して去っていった。これで2ギルダーの儲け。すばらしい!すると、次から次へとお客が現れて「私の名前も書いて!」と、私たちの店の前は大繁盛。なんと、100枚用意していったはがきはどんどんなくなっていくではありませんか!

一方、私の緑茶クッキーとともこちゃんのビーズアクセサリー、としみちゃんの灰皿はさっぱり。なんで手間ひまかけたものが全然売れないで、「名前書きます」なんていう安直なアイディアのほうが受けるんだ?やっぱりオランダはアジアブームなんだわ。途中からかめさんという、うちのBBSにたまに顔を見せるお姉さんもどら焼きをもって参加したが、そちらのほうも「いかがですか?」と声をかけないとなかなか売れない。しかし、彼女の用意した緑茶一杯1ギルダーはなかなかの売れ行き。うーん、商売って難しい。

結局、としみちゃんの「名前書きます」は完売し、総計260ギルダーの売上となりました。お客がたくさん来たおかげで、とりあえず私の緑茶クッキーも、かめさんのどら焼きも予定数終了。しかし、途中で値段を下げたから私の利益はマイナス7ギルダー。おいおい。損してどうする。ともこちゃんのアクセサリーは途中から追い上げを見せて、まぁまぁの売上高を取得。今回はとしみちゃんの一人儲けとなったわけです。

帰り道、アムステルダムのセントラルステーションがあまりの人ごみのため封鎖され、電車に乗れなくてトラム・地下鉄を駆使して家に帰れたのが3時間後、というオチもつきましたが、全体的には大変楽しい一日でした。こりゃ来年も「名前書きます」やるべなぁ。

参加者の皆様、お疲れ様でした。

2001/5/2.....前って・・。

木村拓哉に娘さんが誕生したんだそうな。私は知る人ぞ知る、知っている人はみんな知っている、木村拓哉のファンなのだ。と言ってもファンクラブに入ったりしてませんからご心配なく。とにかく、その娘さんのお名前は「心美」とかいて「ここみ」ちゃんだそうな。心の美しい人になって欲しい、という願いを込めてつけられたんだとさ。

名前。これは奥の深いものです。名前がついていることでそこに「存在」が生まれる。顔を知っていただけの人でも、その人の名前を知った瞬間に、その人が自分の中で存在し始める。キムタクの娘さんは、新聞やワイドショーで「心美」という名前が踊った瞬間、その存在を1億4千万の日本人に認めてもらったと言うわけだ。すごいなぁ。

私の名前は洋子。父方のおばあちゃんにつけてもらいました。以前の日記にも書いたけど、とっても「モダン」なおばあちゃんは西洋文化が大好きだった。だから、初孫娘の私に、西洋の「洋」、太平洋の「洋」をつけた。太平洋のように心のひろい子に育って欲しい、いつか太平洋を渡って西洋に出て行けるような大きな子になって欲しい。それが彼女の願いだったそうだ。太平洋のように心がひろい子になったかどうかは他人の判断に任せるけれど、太平洋を渡って西洋に出ることはできた。名前を付けられた瞬間に、私の人生は決まったのだろうか。

余談ですが、うちの父は私を「巴」(ともえ)と名づけたかったそうだ。彼は歴史上の人物、「巴御前」という人のように、強く美しい女になって欲しかったからだ、と言っているが、身内では「えもとともえ」という上から読んでも下から読んでも「えもとともえ」という名前にしたかっただけじゃないの、ということになっている。そんな冗談みたいな名前付けられないで本当によかった。私の人生まで冗談になっちまうよ。

私の真中の弟は「健太郎」。健やかに、健康な人間に育って欲しい。ということで名づけられた。健太郎は確かに健康で、家族の中でも病気になることが一番少ない。が、「健康」だけに願いを集中させてしまったおかげで他の部分に多少の支障が出ているような・・?(健ちゃんごめん!)

一番下の弟は、「博正」という。これは、私たちがあったことのない父方のおじいちゃんの名前「博」を取って、当時の父の会社の社長さんが名づけてくれた。その社長さんも「博」という名前がついているので、父がその当時最も尊敬していた、このすばらしい二人の名前を取ってつけてもらった豪勢な名前なのである。・・・が、その社長さんはそれから10数年後、日本史上最高脱税金額の記録つきで逮捕された。名前をつけてくれた時、「博正くんが20歳になったら読ませてあげてください」といって父に博正宛の手紙を手渡してくれた。その手紙には「人に迷惑をかけず、社会に奉仕できる人間になってください。」とあった。うーん。ディープだなぁ。こんないわくつきのある名前を付けられた博正君はどんな人間になるのでしょうか。

みなさんの名前の由来はどんなんでしょう?

20010619 (Tue) .....ああ、憧れの駐在ライフ!

前にも書いたけど、私はアムステルフェーンという町にあるカラオケバーで週一回バイトをしている。別にお金に困ってるわけじゃないが、ただで酒が飲めてカラオケが歌えるという利点を逃す手はないでしょう?

そのカラオケバーには、駐在さんがわんさかやってくる。日本企業が集中するこの地域にはオランダ駐在会社員とその家族が山ほど住んでいる。同じ日本人同士なのに、カラオケバーで垣間見る駐在会社員の暮らしは、私達現地組のそれとは月と太陽ほどの違いがあるのだ・・。

駐在も、現地組も、必要なものは一緒。けれど、買い求める商品の品質が違う。ここがポイント。例えば、このホームページの
BBSにもちょくちょく顔を出してくれるむろも駐在組みなのだが、彼の家にお邪魔してトイレを使わせてもらった時、私は感嘆したのだ!「こいつんちのトイレットペーパー、やわらか〜い!!」現地組は、こんなやわらかいトイレットペーパーを買う経済力はないはずだ。

現地組はお買い物に自転車をつかう。自転車大国、オランダですもの、重い荷物を後ろにくくりつけてえっちらおっちらお買い物。が、当然駐在組の妻達はお買い物にお車をつかう。それも、到底われわれ現地人には恐れ多くて「お買い物カー」なんて呼べない高級車だ。在蘭日本人の情報元、ばいばいネットというホームページに乗っている「車売ります」の欄には「フォルクスワーゲンゴルフ、オートマ、
98年型、希望価格23000ギルダー、近所へ買い物に行くのに使っていた程度ですから、新品同様で、コンディション良好」なんていう書き込みがあふれている。お買い物に、そんな高級車をつかうなぁぁぁぁ!

現地組も、駐在組みも、日本から遠くはなれた生活に少しでも潤いを与えようと、ペットを飼う。現地組は友達の農家の納屋で生まれたノミまみれの猫をもらったり、ペット屋で見つけたねずみを買ったり、保健所に連れてこられたみずぼらしい犬を買う。駐在組みはペット屋にいってカタログから血統書付きのチンチラやゴールデンレトリバーなんかを飼う。もちろん餌もディスカウントストアーなんかで買いだめをしたりしない。そして彼らはペットの写真を財布に入れて持ち歩き、カラオケバーのお姉ちゃんに、「これ、うちの息子。メルシー。」なんてみせてまわる。

でも、駐在組みは大変なんだ。毎晩カラオケに来て飲んだくれて騒ぎまわっている彼らを見るとなにやら哀愁を感じる。日本から遠くはなれて、彼らは必死に働いている。仕事がいくら残っていても定時にはサクっとあがってしまう現地人を尻目に、残業手当もつかずに仕事をする。日本から出張者が来たら土日なんて返上さ。彼らは瀕死の日本経済を遠い異国の地から支えているんだ。

でも、やっぱり、うらやましいぞ!

20010620 (Wed) ..... 病院へ行こう?

どーも、このところの不摂生がたたっているのか調子が今ひとつ。
2週間前から喉がずーっといたいのだがそれがまだとれない。というよりもちょっと悪くなっている感じ。最初は風邪かな?と思ったのだが、どうやらそうでもないらしい。とにかく、物を食べると痛いので困る。しょうがないなぁ、ちょっくら病院にいってくるか、と予約を入れた。

私は結構簡単に病院に行くほうだ。
ちょっとでも調子が悪いとすぐ病院に行く。基本的に心配性なので、大したことなくても「もしかしたら・・。」と不安になる。そんなときに病院に行って、お医者さんに「ただの風邪ですよ。」とか「胃がちょっと荒れてるだけです。」と、「大丈夫。」の太鼓判を押してもらえればそれだけで良くなってしまうのだ。そのたびに薬をたんまりもらいこんできて、本当に具合が悪くなった時の為にとっておくだけでなにやら安心する。単細胞なのだ。

しかし、オランダの医者はそうも行かない。
以前、手足のしびれがどうしても取れなくて不安になって近くのドクターにいった。うちの家族には糖尿病もちがいるし、心当たりがないわけじゃないから「もしかして・・。」と不安になった。手足のしびれは糖尿病の末期症状で、糖尿病になったからといってすぐにしびれが出るわけはないということは分かっているものの、不安なものは不安なのだ。

しかし、私のホームドクターは私の症状を一通りきいてから、「で、どうしましょうか?」ときいてきた。どうしましょうか・・って言われても。「別に、痛いとかいうわけでもないんでしょう?」という質問に「ええ、痛みはありません。」と答えると、「じゃあねぇ・・。」と黙ってしまう。

「うちの家族には糖尿病患者がいますから、その辺を少し心配してるので、例えば血液検査とか、そういうことはできませんか?」ときくと「ここではできないんですよね。検査は病院でやってもらわないと。でも、必要ないですよ。」と言う返事。

これでは安心できないんだよ〜と内心あせりつつ、「じゃ、どうしましょう?」ときき返すと「そうですねぇ。ちょっと様子を見てみたらいかがでしょう?で、
3ヶ月くらいしてまだその症状があるなら、考えましょう。」3ヶ月もこの症状が続いたら、心配で心臓がやられちゃうわい!

しかし、本当に、それ以上のことはしてくれなかった。もちろん薬もなし。私の「具合悪い→不安→お医者さん→太鼓判→全快」という方程式はオランダでは成り立たないようだ。

結果的に、手足のしびれはいつの間にやら消えていった。たまに、感じることもあるものの、確かにたいしたことではないのだろう。今日の
15時からのお医者との面接(本当に面接みたいなんだよね、オランダのお医者に行くときって)はどうなるのかな?今回は「痛み」があるから、何かしてくれるのかな。それともまた「様子を見てみましょうか・・。」になるのだろうか・・。

20010621 (Thu) ......ま、こんなもんでしょう。

お医者に行って来ました。

私「喉がもう
2週間も痛いんです。ご飯を食べたりすると痛くて痛くて・・。」
ドクター「風邪かしら?」
私「さぁ。でも喉が痛いのと、咳が多少出るくらいで、他に風邪の症状はないんですけど・・。」
ドクター「じゃあ診てみましょうか。」

ドクター、私の口を覗き込む。
ドクター「あらまぁ。赤いわね。腫れてるようね。」
私「ふが・・。」
ドクター、外から私の喉を触る。
ドクター、「ここが腫れてるわ。痛いでしょう?」
私「はい。」
ドクター「煙草吸いますか?」
私「はい。」
ドクター「じゃ、煙草をやめましょう。」
私「はぁ・・。」

ドクター席に戻る。
ドクター「喉の痛みにはドロッペなんかがいいわよ。あと、はちみつもね。」
私「ドロッペ、ですか?あの黒いまずいやつ?」
ドクター、笑いながら、「そう。外国の人はみんなあれがきらいねー。」
私「あの、痛み止めなんかは・・。」
ドクター「市販の鎮痛剤は持ってないの?」
私「はぁ・・。抗生物質なんかは・・?」
ドクター「
39度くらいの熱が出たら出しますよ。そしたらまたきてください。」
私「
39度の熱がでたらもらえるんですか?」
ドクター「大丈夫、ほっておけば治りますよ、
45日くらいで。」
私「4、5日ですか・・。(そんなに我慢しなきゃいかんのか?)」
ドクター「じゃ、お大事に!」
ニッコリ微笑んで握手。

ま、こんなもんでしょう。

20010622 (Fri) ........うまいもの。

最近、うまいもん食べてない。
オランダのレストランの品質は在蘭日本人(オランダ人も結構認めている)なら誰もが認める「最低」レベル。もちろん、それなりのお金を払えばおいしいところもある。が、日本と比べるとぜーんぜんだめ。日本は例えば喫茶店の
500円のランチだって、コンビニの380円ののり弁だってそれなりに食べれる。でも、オランダのレストランは、たとえ100ギルダー払っても(5000円くらい)まずいものはまずい。レストランで「うぁ、まじぃ、これ!」っていう発言したこと、日本である?オランダでは日常茶飯事。

それはなぜかというとやはり、オランダ人の食に対する感覚が原因だと思う。彼らは「食べる」ということに貪欲ではない。フランス人とは正反対の「生きる」為に「食べる」というのが彼らの食に対する考え方だから、食べ物は所詮燃料でしかない。だからつめこめばそれでいい。

朝起きてパンにハムをはさんだだけのサンドイッチを食べる。食べながらお昼用のサンドイッチ(全く同じ物)を作る。そしてそれを職場にもっていって、ランチに食べる。全く同じ物、それも必要最小限の中身(ハムならハムだけ。チーズとハムを一緒にはさむなんてもったいない!)が入ったサンドイッチを、おなかが膨れるまで詰め込む。

夕食は、家族でそろって「家で」食べるもの、である。プロテスタントの国だからかどうかは知らないが、「外食」は「贅沢」というイメージがいまだに強く残っている。かといって、おうちのお母さんがみんな料理上手というわけでもない。夕食のメニューは非常にシンプルである。

まず、お芋。お肉。そして添え物の野菜一品。お肉は焼いただけが煮ただけ。そこにスーパーで売っている粉末ソースを溶かしたものをかける。
量も、人数分きっちりつくる。「あなた、おいもいくつ食べる?」と料理をする前にきかれることが良くある。残り物は出さない。「明日のお弁当に・・。」なんて事もない。だって、お弁当はいつものサンドイッチと決まっているから。

それでも、最近は良くなってきたほうだとあるオランダ人が言っていた。昔はレストランなんて月に一回くらいしか行かなかったから、外食産業は発達しなかった、という。今はオランダ人も週に一回くらいは外食をする。移民が増えて国籍も多種多様になってきて、いろいろなレストランが増えた。

それでも、まだまだオランダの食事情は「発展途上」だ。こんなに国際化の激しい国なのだから、早いとこ食事情も発展させてくれぇ・・。

2001年06月28日 (Thu) .....むろと私の関係。

掲示板でむろと私の関係について質問があったので、ここで私達の出会いをお話しましょう。

むろと私は暮れの押し迫った去年の12月、パリのシャルルドゴール空港で運命の(?)出会いをした。私は日本に家庭の事情で3泊5日の強行軍で帰国していた帰りだった。

早朝5時にシャルルドゴールに着き、2時間程待った後、アムステルダム行きの飛行機に乗り換えた。ところが飛行機に乗り込んだはいいものの、いつまでたっても飛行機が出発しない。飛行機はぐるぐると滑走路を走っているだけ。しばらくすると、乗客全員飛行機からおりてくれという機内放送が入った。

空港内に戻され、他の乗客とともに1時間くらい待たされたところでやっと係員が現れ、説明をはじめた。ところが、さすがエアフランス(?)、フランス語だけの説明で終わろうとしているじゃありませんか!これじゃあ何のことだか全然わからんと、私は「すみません!英語で説明してください!」と怒鳴った。

すると係員が英語で「機械故障とアムステルダムの悪天候のため、この飛行機はキャンセルになりました。ですからアムステルダムまで電車で帰っていただきます。」なんだとー?ムカムカしながらも、そのまましばらくお待ちくださいという係員の言葉どおり待っていると、横から一人のアジア人青年が近づいてきたのでありました。

「すみません、日本の方ですか?」そうです。まるで捨てられた子犬のように悲しそうな目をして訊ねてきたこの青年こそ、むろだったわけです。

「そうですけど。」と答えると(後にむろは「あの時のNico母は凄みがきいていて怖かった・・。」と証言。いらいらしてたんだよ!)、「いったいどうなってるんでしょう・・。」と悲しそうにきいてくる。事情を説明して、電車で帰らなければいけないことを伝えてあげると彼はやっと納得したように笑顔を見せた。

旅は道連れ・・ということで二人で電車のチケットを変更し、時間まで近くのホテルでお茶をした。彼のかよわい様相から、どう考えても私より年下、もしくは同い年くらいの旅行者だろうと思い込んでいた私は、「予定よりアムスにつく時間がかなり遅くなりますけど、ホテルとか、お友達が迎えにきてるとか、そういうことは心配ないんですか?」ときいてみた。

すると、「いや、あの、俺、住んでるんです。アムスに・・。」というじゃありませんか。「住んでるって、何してるんですか?」ときく私に彼は「○○という会社の駐在です。」と答えた。なにぃぃぃぃぃ?そして年を聞くと何と私より6つも上!ひゃー、なんなんだこいつは!

ま、話してみると面白いし、結構いい奴だし、ということでそれから二人のお友達(親分子分)関係が始まったということです。そして今に至る、と。彼にしてみると、「怖い人につかまってしまった。」ということらしいですが。助けてやったのにそりゃねーよなー。

そんなわけで「あの時、助けてやんなかったらなぁ、今でもあんたはパリにいたかもしれないんだぞ。」などと今でもこの「出会い」の話を持ち出しては恩に着せ、ご飯をご馳走してもらったり、足になってもらったりしてます。
いやぁ、もつべきものは気のいいお友達ですな!ほっほっほっ。


20010703(Tue) ....... 天気がええのぉ。

最近オランダの天気がめちゃくちゃいい。

天気の良い状態になれていないオランダ住民は、ここぞとばかりに外に出て日光浴を楽しんでいる。なんてったってオランダ住民は日光に貪欲だ。今、当たっておかなかったら次回はいつ日に当たれるか・・という不安があるからだ。

今のうちに光合成をしておかねばね。ビタミンEを作らねば。

こういう日は仕事なんてそっちのけ。とにかく日に当たる。

何年か前の夏にスウェーデンのストックホルムに住む友達を訪ねていったことがある。スウェーデンはご存知の通り北欧の国だから、夏は白夜で日がほとんど沈まない。私が行った時も、日没は午前1時、日の出は午前4時と、日が沈んだのがほんの3時間だけだった。

そのスウェーデン人と出会ったのはアメリカのロサンゼルス。大学で知り合った。彼はとても陽気で楽しい人間だったのだが、スウェーデンで再会して驚いた。まるで人が変わったように暗い、陰気な性格になっているのだ。

原因はスウェーデンの天気だと彼は言う。ロサンゼルスのように年中暖かくてはれている場所にいると、性格もとても明るくなれたのだが、スウェーデンに帰ってきてからというものの、夏でも涼しく、雨ばかり。冬になると毎日雪が降る上日照時間が夏の逆の3時間ほど。昼の12時頃にやっと日が出て、4時ごろには沈んでしまう。そんな生活を送っていると気が滅入ってしまい、性格も暗くなってしまうのだという。

スウェーデンやノルウェー、フィンランドなどは自殺率が世界で一番高い地域なのだそうだ。だからスウェーデンでは今でもお酒の販売規制が激しい。町のスーパーなどにはアルコール度のひくいビールくらいしか置いていない。お酒は政府が管理する特別なお店に行って、一人何リッターまでという規制の元、行列を作って購入する。もちろん、価格もバカみたいに高い。それは天気が悪くて落ち込んでしまい、お酒に走ってアル中になってしまう人が多いため、それを少しでも規制できるように、という考えから来ているのだという。

そこから比べればオランダなんてまだましだなとは思うものの、やはり日光のありがたさを実感するのは、雨ばかりの寒い国に住んでいるからだろう。日本の蒸し暑いくらいの暑さがなつかしい・・。

天気が良くても悪くても酒に走ってしまう人はどこにでもいますがね。ほほほ。

20010704(Wed) ....... 背骨。

私の背骨は曲がっている。

腰の少し上あたりの背骨が外から触るとすぐわかるくらいに曲がっている。

中学のころ、一年で15cm身長が伸びた。

夜寝ていると足が伸びていくのがわかるような気がするほど、成長が早かった。ひざが成長についていかなくて、成長痛という、階段を上がるとひざがみしみし言う痛みを感じるようこともあった。入学当時は前から3番目くらいだったのに、2年生に上がるころには後ろから3番目になっていて卒業の時には一番後ろに立っていた。

中学生の女の子が165cmの身長もあると、やたらにでかくて目立つ。

クラスのほとんどの男の子よりも背が高かった私は、それがいやでいつも前かがみになっていた。その上胸の発育も激しくて、目立たないように目立たないように背中を丸めていた私はとうとう猫背になってしまったのだ。

結局その後身長の伸びは落ち着いて、168cmでとまったのだけれども、中学時代の下向きの生活のせいで、すっかり猫背のままになってしまった。気がつくとまるでおばあさんのような姿勢で座ったり歩いたりしている。今ではまっすぐ背筋を伸ばして立っているほうがつらい。

身長が高いことや胸が大きいことは20歳を越してからは何かと有利に働いたものの、(笑)、猫背だけはどうにも治らない。挙句の果てにはいつのころからか背骨が曲がり始め、そのせいか、どうやら左右の骨盤もずれているようだ。

一度整体に行った事があるが、その時の治療のつらさに負けて長くは続かなかった。

別に痛みはないのだけれども、猫背のせいか背中に異様に肉がついてしまうし、内臓にだっていいわけないよねぇ。このままだと、間違いなく背中の曲がったおばあちゃんになってしまう。子供を産むにしたって骨盤がずれていると難産になってしまうという。だけど背骨の曲がり具合はどうやったら治るのか?やっぱり整体かカイロに行かなきゃ行かんのだろうか?

オランダでいい整体かカイロプラクティック、ご存知ありませんかー?

情けない話だ。

20010705(Thu) ....... 真夏日。

日本は今、めちゃめちゃ暑いんだそうで。東京でも5日連続真夏日を記録しているとか。オランダも暑いですねぇ。本当にここはオランダなのか?と疑ってしまうほど暑い。いいことなんだけど・・。

きのうはカラオケ屋さんのバイトの日。

本当は私は月曜の夜出勤なんだけど、女の子が一人お休みということでピンチヒッター。としみちゃんと一緒に車でアムステルフェーンに向かい、時間が余っていたのでお買い物。今、オランダは夏のセール時期なのだよ〜。

リゾートで着れそうな短パンなんかを買ってみたりして、すっかり気分はサマーホリディさ。買い物を終わらせてバイトへと向かう。

このカラオケ屋さんは、中華料理屋の2階にあって、窓が全然ない。そのうえまだクーラーが入っていない。まぁ、通常のオランダの夏ならクーラーなんて要らないんだけれど、今年のオランダの夏はいつもと違う。今は5台の扇風機を配備して涼を取っているのだけれど、はっきりいって全く焼け石に水。

店の掃除をしているだけでもだらだら汗が出てくる。

あまりの暑さにさっき買ったばかりの短パンにはきかえる。それでもあつーい!多分室温は25度越してますぜ。

水曜日は普段それほどお客さんが入らない。が、なぜかこの日に限って大繁盛。ボックス席はもちろん満員、カウンター席や普段ほとんど使わないスタンド席まで満席。それでもお客さんはゾクゾクと入ってくる。カラオケボックスの部屋もぎゅうぎゅうづめ。そして、この温度!

みんな「暑いー、暑いよー。」と汗をだらだら。お酒飲んでカラオケなんて歌ってたらそりゃ更に体温も上がるのにさ。スーツ姿の企業戦士たちも、ジャケットを脱ぎ、ネクタイをはずし、そしてシャツを脱いでT-シャツとスーツのズボンという姿に。変なの。あまりの暑さに水割りの氷もすぐ溶けてしまうので、ビールを注文し始めるおじさんたちが続出。

暑い暑いと文句をみんな言っているのに、なぜか誰も帰らない。なぜだ?

すると一人のおじさんが「なんだかねぇ、この蒸し暑さに慣れてきたら、これが日本の夏の夜の暑さを思い出させてねぇ。懐かしくなってきちゃったんだよ。」と楽しそうに言った。そう言われて周りを見渡すと、ビールを片手に額に汗をにじませ、シャツを脱ぎ捨てて同僚と肩をたたきながら騒ぐおじさんたちの光景はまるで新橋のビアガーデンでの光景に近いものがある。

なるほどねぇ。これはこれで楽しいわけなのね。よくわかんないけど。

結局閉店時間を過ぎてもほとんどのお客さんたちはわいわいやっておりました。はやくクーラーつけてもらわないと、どんどん閉店時間が伸びちゃうよう。(涙)

20010709(Mon) ....... DNA

最近私の実父が掲示板に出没している。

普通、娘のホームページの掲示板に書き込む親父はいないと思うんだけど、内の父ならやりかねないと常々思っていたから、初の書き込みを見た時は「ずいぶん我慢したな」と逆に感心した。

父と私は小さな頃から戦っていた。

私の最初の彼との戦いの記憶は、近所のケンタッキーフライドチキンに家族で食べに行ったときのものだ。当時、うちは貧乏で、ケンタッキーフライドチキンは家族にとって贅沢な食べ物だった。誕生日とか給料日とかボーナスとか、何か特別なことがなければいけなかったように記憶している。

私が小学校3年生くらいの頃だったと思う。その日も家族みんなで近所のケンタッキーへいそいそとでかけ、ファミリーバーレルのような一つのバケツに10数個チキンが入っているものを家族五人でぱくついていた。最後の一個がバケツの中に残った時点で、私は3個、父も3個食していた。そしてそこでバトルがおこったのだ。最後の一つを私をつかもうとすると父が「それはお父さんの分だ!」と怒鳴ってチキンをむんずとつかんだ。しかし私もまけじと「嫌だ!それはわたしんだ!」と怒鳴り返す。「誰がここの勘定払うと思ってるんだ!」とやり返す父。横で母が「恥ずかしいからそんなことで言い争わないでよ!」と金切り声を出す。そして私に「洋子はお父さんより体が小さいんだから、この一個はお父さんに上げなさい。」と言った。

そして私は子供の必殺技「いやだいやだいやだいやだーーー!!」と泣き喚きながら地団駄を踏む攻撃に出た。店内のお客さんもこちらを見てくすくす笑っている。気がついた父はとうとうその鳥を放り投げた。「ほら!食え!」そして放り出された鳥をむんずとつかみ、鼻水だらけの顔でむしゃぶりついた私。

それはその後20数年間繰り広げられることになる壮絶な父娘バトルの幕開けにふさわしいものであったのだ・・。

そんなわけで私達父娘はしょっちゅう喧嘩をする。それも他人がいようといまいと何のお構いもなしに、大声で怒鳴りあったりする。そのたびに、運悪く居合わせてしまったタクシーの運ちゃんやレストランの店員さんたちにいやーな顔をされるが、そんなことは気にしない。この喧嘩が私達父娘のコミュニケーションの取り方なのだ。

ま、一番迷惑こうむってるのは横で恥ずかしそうにしている母ちゃんなんだけどね。ほほほほ。

20010717(Tue) ....... ポチとノンのこと。

私が小学5年生の頃、父の仕事の都合で名古屋から岐阜の多治見という場所に引っ越した。その時の我が家は最悪の経済状態で、借りた家も雨漏りがするほどのおんぼろで、その日に食べるものにも困るような状態だった。

そんな暗い、つらい生活を支えてくれたのが、ポチとノンだった。ノンは私がかよっていた小学校に捨てられていた子猫。ちょうどNicoみたいなトラ猫で、父が学校に挨拶に行ったときに職員室に置かれていたきゅうりのダンボールに入った彼を見て一目ぼれをして家につれて帰ってきたのだ。

それから1週間後ぐらいに保健所で真っ白な犬、ポチを拾ってきた。自分達が食べるものにも困ってるのに2匹も動物を飼うなんて無茶な話だとは思うが、これは両親が留守がちな自分達のせめてもの代わりにと子供達のためにしたことだった。

ポチはメス犬、ノンは雄猫。すこしお兄さんのノンは後からきたポチをとても可愛がった。ダンボールの中で丸くなって一緒に寝る二匹。一つのえさ箱から分け合って食べる二匹。お互いを舐めあっている二匹。ポチを連れて散歩に行くと、自分のテリトリーぎりぎりまでノンもついてきた。テリトリーを越えてしまうと、そこから出られないノンは悲しそうに鳴いた。

新聞配達をしていた父は毎朝2時におきていた。そのうち目覚ましをかけなくても父は2時ぴったりにおきれるようになった。それはノンが毎朝2時きっかりに父の鼻をかじって起こすからだ。したくをして家を出ようとするとポチが走って配達についてくる。バイクで走り去る父のあとをいつまでもいつまでも走ってついていった。

辛かった生活なのにポチとノンのお蔭で私達の生活にはいつも笑いが絶えなかった。しかし、ある日父に「東京へ帰って仕事をしないか。」という知らせが舞い込んだ。当時学校でいじめられていた私のことを考えたり、今後の家族のことを考えると東京に戻った方がいいに決まっている。しかし、父も母も決断ができなかった。それは東京に帰ったら小さなアパート暮らしをしなくてはいけないから、ポチとノンを連れて行くわけに行かないということが原因だった。家族の一員の2匹をおいていくわけにはいかない、そういって二人はため息をついていた。私達兄弟も彼らと離れるのは絶対嫌だった。

悩み続ける日々が続いた、ある寒い二月の昼下がり。父が家に帰ってくると、ポチの白い体が玄関の前に横たわっていた。「ポチ、どうした?」と声をかける父。いつもなら飛び上がって尻尾をふって迎えるポチなのにピクリともしない。嫌な予感が頭をよぎって駆け寄る父。

ポチは死んでいた。家の前の道路で車に轢かれたらしい。

ただの事故だ。しかし、私達にはそれがポチのメッセージだと思うことしかできなかった。「東京に行ってください。」という。

私達は泣きながらポチをいつも遊んだ丘の上に埋めた。そのうちそこは区画整理をされて新しい家が建つことになっていた。いつか、ポチの上にも家が建ち、新しい家族がポチの上に暮らすことになる。だからさびしくないよね。

私達は引越しを決めた。ノンは父の友人の家にもらってもらうことにした。そして私達はポチとノンの思い出の一杯詰まったボロ家のドアを閉めた。

あとからノンをもらってくれた人から連絡が入った。もらってから1週間もしないうちにノンが家を出てしまったそうだ。ノンも私達以外とは暮らせなかったんだろう。証拠もないことだけれど、ポチのお墓にたたずんでいるノンを想像してしまって涙がでた。

ありがとう。あなた達は私達の天使だった。

20010718(Wed) ....... 泣き虫博君。

私の一番下の弟、博正からメールが来た。

今年の1月にアメリカの大学を卒業して以来ずっと行ってきた就職活動がやっと身を結んで、めでたく就職がきまったそうだ。「8月までに就職が決まらなかったら日本に帰って来い。」という父との約束があったため、彼もかなりあせっていたようだけど、これで一安心。よかったねぇ。

博正は末っ子の見本のような子供だった。

とにかくよく泣いた。あたまを少しでもこづくと泣く。

ちょっとでも冷たい事を言うと泣く。

泣けば何でもすんでしまうと思っていたようで、とにかく泣いた泣いた。

一番おかしかったのは、彼が保育園の頃のこと。彼は熱烈な巨人ファンだった。シーズンになると毎晩テレビの前から離れない。かぶりつきで巨人の応援をしていた。しかし彼の熱烈ファンぶりは少し異常だった。

巨人の選手が得点すると狂喜乱舞する。エラーをすると大声で怒りまくり、相手がファインプレーをするとぶーぶー文句を言う。そして巨人が負けると身も世もなく泣き崩れるのだ。その泣き方ったら半端じゃない。それこそ身内の誰かが死んだかのように泣き崩れる。これは家族にはたまったもんじゃない。だって巨人戦は毎晩テレビでやっているのだから!

その上雨で試合が中止になると不機嫌になり、放映時間が足りなくて試合を最後まで見れないと怒りまくる。普段はとてもおとなしい子供だったのに、とにかく巨人戦になると人格が百八十度変わった。

泣き虫な弟だったけれど、6つも年が離れている弟だから私にとっては可愛い弟だった。よく手をつないで散歩をした。夜寝るときも私の横でないと寝れないとごねた。

そんな彼も思春期になり、いわゆる反抗期を迎えた。その時期にありがちな「引きこもり」にもなった。学校の友達と喧嘩をしてぼこぼこにされて帰ってきたこともある。悪い仲間と付き合って警察に補導されたこともある。しかしなぜか私達家族にとって彼はいつも「泣き虫博君」だった。反抗期の時期には多少父も母も困ったこともあっただろうが、彼は基本的に家が好きだったようで、不良ぶってるわりにはいつも家にいた。だからだれもあまり心配をしなかった。

私の後を追うようにアメリカに渡り、3年間一緒に生活をした。喧嘩もしたが、彼と暮らした3年間はとても楽しかった。どんなに生意気なことを言おうと、どんなにバカなことをしようと、彼はいつまでも私の「泣き虫博君」だったからだ。

そんな泣き虫博君、やっと就職が決定。

人生泣いてりゃ済まされるってことはこれからはもうないから、辛いことがあっても涙をぐっとこらえて頑張るんだぞ。

20010725(Wed) ......暑い!わーい

天気がいいぞー!うれしいぞー!

オランダで天気がいいと朝から気分もワクワクしちゃうね!

日本のむしむしの暑さと違ってすっきりした暑さだから、気分爽快さ!

そういえばちょっと前に天気のよい日が続いた時、仕事である(日系)会社に電話をした。担当の人を呼んでもらうと、「席をはずしてます。」とのこと。「何時ごろお帰りになりますか?」ときくと「さぁ・・。今日は天気がいいですからねぇ。」と言われた。なんだその言い訳は?んで、「じゃ、他の人をお願いします。」って言ったら、「みーんな出払っちゃってます!」。何だとぉ?「・・・それってやっぱり天気がいいからですかね?」とその姉ちゃんにきき返すと、「そうですねぇ。私も出たいんですけど、さすがに全員出ちゃうわけに行きませんからね!」と高らかに笑った。オランダ人ってやつらは・・。

つい最近も、同じ会社に商品を取りに行った。4日も前に取りに行くから用意しておけというファックスを送っておいたにもかかわらず、行ってみると担当が顔を出して、「あれ?今日は何の用?」ま、容易に想像できる反応ではあるけれども、ついつい期待してしまっていた私はがっくりきた。

「だからぁ、何日かまえに、商品取りに行くってファックスしたでしょう?」と言うと「えー?そうだっけ?」。そう言いながらごそごそと机の上を探すと、あるじゃないの目の前に。私が送ったファックスが!「それだよ、それ!」と指をさすと、「あああああ!そうだった、そうだった。すーっかり忘れてたよ。ごめーん。」はぁ。(ため息)

そして彼はしゃあしゃあとこう言った。「いやぁ、明日から10日間フランスにバカンシーに行くもんだからさぁ、そればっかり頭にあって、全然仕事がはかどんないんだよねー、今日。」

ちょっとまて。10日間もフランスにバカンシーに行くなんて私はきいてないぞ。お前私の担当だろう。その間いったい誰が私の仕事をカバーするんじゃい!と怒鳴りたい気持ちを押さえつつ、「あら、それはいいわね。じゃあその間のあなたの仕事はいったいどなたがやられるのかしら?」とわざわざ丁寧にきいてみた。すると、「えーと、おーいマーク!お前、来週出勤する?」

ふふふ。いいのさ。もう慣れたよ。

くどいようですが、この会社、某日系大企業です。くぉら!フェーンのカラオケ屋でくだまいてる暇あったら、社員教育何とかせんかい、そこの日本人駐在員!

失礼いたしました。

20010815(Wed) ....... お盆。

にこじじが掲示板でなにやら不可思議なことを書き込んでましたが、今日はお盆の中日ですね。亡くなった人が帰ってくる日。亡くなった人のことを思い出す日。

私には一人、忘れられない人がいる。その人は数年前に亡くなってしまった。大事な大事な友人だった。彼女は私より7歳年上のみえちゃんという人。会社に入って、友人の紹介で知り合ったみえちゃんだったけど、まるで本当の姉妹のように仲良くなって、暇さえあればみえちゃんと、彼女を紹介してくれた友達と3人で遊んでいた。私がずっと欲しかった、お姉さんのような強くてあったかい人だった。

そんなみえちゃんはある一人の男性と恋に落ちた。それはそれは幸せそうな彼女をみて、私達は彼女のためにもすごく嬉しかった。そして私は留学するためにアメリカに渡った。それでも日本に帰れば必ず3人で会ったし、手紙やはがきだってやり取りしていた。みえちゃんはいつも、いつもとても元気で明るかった。幸せなんだろうなって思ってた。

ある冬の日、ロスの私のアパートに電話が入った。彼女を紹介してくれた友達だった。彼女は電話口で泣いていた。

「みえちゃんが、死んじゃったの。」

信じられなかった。ものすごい衝撃だった。いつだって、笑ってたみえちゃん。いつだって私が困った時や悲しかった時にいっしょに怒ったり泣いたりしてくれたみえちゃん。「洋子は私の妹だからね。」と言ってくれたみえちゃん。もうみえちゃんはいない。それがどうしても信じられなかった。

電話口でパニックになっている私に友達が言った一言がさらに強い衝撃を与えた。「みえちゃんね、自殺しちゃったの。一人で、たった一人で、死んじゃったの。」そう言って彼女は泣き崩れた。目の前が真っ暗になった。息ができなくなって、自分も死んでしまうと思うくらいつらかった。

みえちゃんは、あの付き合っていた彼氏と別れ話でもめていた。

結婚まで考えていた二人だったのに、彼に好きな人ができたのだ。どこにでもある、たわいない男と女の話。でもみえちゃんにはそれが耐えられなかった。彼を失うという現実をどうしても正視できなかった。

親や友達もまきこんで、あらゆる修羅場を演じた。彼女は必死だった。彼を取り戻そうと必死だった。でも、彼女がもがけばもがくほど、彼の心は離れていった。そして。心配してくれた友達に「もう大丈夫だから。」と笑顔を見せた数時間後、たった一人で、今まで溜め込んでいた睡眠薬を飲んで彼女は逝ってしまった。ベッドサイドに彼の名刺だけを置いて。彼に一番最初に連絡が行くように。それが彼女の最後の執念だった。

彼女は、残された私達に深い、深い傷を残した。彼女は自分勝手だった。一人でつらい思いをしていたと思っていたかもしれないけれど、残された私達はこの傷を一生背負って生きていかなきゃいかない。あのとき、私達にできたことがもっとあったんじゃないか、彼女が生きていけるようにたくさんのことができたんじゃないか、そう責めることを彼女は私達に植え付けていった。

私は彼女が大好きだった。でも、彼女をとても憎んでもいる。彼女を愛した人たちに、背負わなくてもいい傷を背負わせた自分勝手な彼女をとても憎んでいる。今でも彼女のことを考えると涙が出る。最後の瞬間の彼女を考えるとつらくてつらくて仕方がない。でも、これだけは言える。彼女は間違っていた。絶対に。こんな形で死んで残るものは悲しみと憎しみしかない。死んでしまって楽になったのは彼女だけだ。本当に彼女が彼を愛していたのなら、彼女はつらくても悲しくても生きていくことを選ぶべきだった。そして新しい人生を歩んでいくことが彼女が望んでいた彼への本当の復讐になったはずだったのに。

彼女は知るべきだった。死んでしまったら、彼女の時間だけが止まってしまうことを。残された人たちの時間は進んでいく。覚えていて欲しいから、あなたがいなければ生きていけないんだという事をわかって欲しかったから、なんてただのたわごとに過ぎない。死んでしまったら、いなくなってしまったら、いつか忘れられてしまうのだという事を、彼女は知るべきだった。

ばかやろう。あなたは一人なんかじゃなかったのに。

20010817(Fri) ....... フェーンの市場。

今朝はちょっと早起きしてフェーンの市場に行って来ました。

日本人向けのお魚屋さんがあることは皆さんもご存知だと思いますが、いつも夕方にいくとなーんもなくなってるので今日は頑張って10時ごろ出かけていったのさ。

まあ、そしたら、いるいる、駐在婦人たちが!

ここはどこー?築地ー?って感じだったわよ。

このお魚屋さんは日本人相手にオランダ人が出している店で、品物の名前なんかもちゃんと日本語で書いてある。オーナーのおじさんは日本に何度もいったことがあるようで、(理奈さんの実家にお世話になったこともあるとか?)片言ではあるものの、お魚の売り文句を日本語で連呼していてかなりおかしい。

「オランダ産のイカー、サシミでオイシイネェー!」「マグロー!トロー!奥さん、オイシイヨーカッテネェー!」なんて感じ。結構サマになっててなんか変。(笑)お魚も、買うとちゃんと「サンマイにオロシマスカ?」なんてきいてくれる。オランダでお魚を「サンマイ」におろしてくれるところはきっとここしかないでしょうな。

オランダの普通のお魚屋さんって、本当に品数が少ないから、このお店に来ると、すごく嬉しくなって食べれもしないのに山ほど買ってしまう。オランダは海が近いくせに、たいした魚を食べないんだよね。何ででしょう?

今日はイカと海老とたらこをゲット。それから前理奈さんに教えてもらった皮付き胸肉を売っている鳥のお店で皮付き胸肉と鳥のミンチもゲットした。このお店に行くと、何も言わなくても必ず皮付き胸肉をさして「これですか?」ときかれる。(笑)どうやら日本人はみんなここで皮付き胸肉を買い込むらしい。

はなやかな駐在婦人達に囲まれながらお魚を選んでいるとなんだか私までリッチな気分。しかし、この食材の量、いったいどうやって使い切ればいいのでしょう?

20010820(Mon) ....... 怖い話。

この週末に日本のビデオを扱ってるビデオ屋さんから怖い話のビデオを借りてきた。基本的に私は怖い話が苦手だ。夜なんか怖い話を聞いたりするとマジでトイレにいけなくなる。でも、怖いもの見たさでついつい見て・聞いてしまう。たいがい後悔するんだけどね。

私の通っていた公立高校は新設高だったというのは以前にも書いたとおり。この学校、実は古墳の上に立っていた。どのくらい前の古墳だかは知らないけれど、社会の先生の部屋には、建設当時に掘り出されたカメだの化石だのが陳列されていたのだから、本当の話なのだろう。そのせいかどうかは知らないが、この学校にはおかしな出来事が頻繁に発生した。

これは私が実際に経験した話。

当時テニス部に所属していた私は、雨が降ると他の連中と校内の視聴覚室というところで室内トレーニングをしていた。夕方までトレーニングをやり、さて家に帰ろうかというときに、視聴覚室の前にある窓をみんなで戸締りをしてまわった。きっちり窓を閉め、戸締りを確認し、校舎の外に出て、ふと視聴覚室の方を見上げると。

窓が全部開いていた。

おっそろしくなった私達は一目散に走って帰ったとさ。

もういっちょ。

どこの学校にも当直室という、当直の先生が寝泊りする部屋があると思う。この部屋は実は古墳の祠が立っていた場所の上にあったらしく、その事実を知っている先生達はいつも当直を死ぬほど嫌がっていた。

そんなあるよの出来事。

社会科の先生が当直をしていた。当直室の延長上には職員玄関がある。夜中12時を回った頃、先生は職員玄関のドアがあき、スリッパをパタンと床に落とす音を聞いた。

「こんな時間にだれだ?先生が忘れ物でもしたのかな?」

スリッパの音はパタパタパタ・・。とこちらに近づいてくる。

パタパタパタパタパタ・・・・。

そしてその音は当直室の前で止まった。

それから一切何の音もしない。

社会科の先生が恐る恐るドアを開けてみると、そこには誰もいなかった。

先生は「怖いよ怖いよ!」と叫びながら戸締りもせず家に帰って次の日校長先生に怒られたとさ。

明日はこんな学校に生息していた不思議な力をもっていた人(自称)のお話を書きます。

請うご期待!

20010821(Tue) ....... 学校の怪談。

私の通っていた高校には奇妙な出来事が多発していたという話は昨日書いた。そんな校風(?)に影響されてか、私の周りには一風変わった生徒が何人かいた。その中の一人、大変な変わり者で知られたKさんとSさんについてお話しましょう。

Kさんは私が一年のアメリカ留学から帰ってきて、一つ下の学年に落ちた時のクラスメートだった。彼女はいつもSさんという女の子とつるんでいた。彼女は前から変わり者だという評判で、確かに見た目も奇太郎のように前髪で右目を隠していた。彼女達は、校内でも有名な霊感少女なのだ。

Kさんの霊感は、「見ることはできるが聞くことはできない。」なんだそうだ。学校の途中にある踏切などでは、踏み切り事故でずたずたになった人が手を伸ばして助けを求めて来るんだとか。(ちなみにそこの踏み切りはまだ新しい踏み切りで、できてから人身事故なんて聞いたことがないという地元の人間の話は一切無視)そして、彼女といつも一緒にいたSさんは、彼女が見えない分「聞こえるけど見えない」能力をもっていた。Kさんが見るとSさんが聞く。校内で不可思議な出来事があると二人でその現場に行って、まるでホームズとワトソン君のような敏腕コンビで「除霊」をしてまわった。

私達が広島へ修学旅行に行った時のこと。私は一つ年上だというだけの理由で大部屋の「室長」にさせられた。そしてそのグループにはあの「除霊コンビ」も含まれていた。私達が泊まった宿泊施設は、廊下は歩くとみしみし言うわ、周りはうっそうとした木々に囲まれてて薄暗いわ、いかにも「出そう」な雰囲気のふるーい建物。グループの子達が「なんかお化けがでそーう。こわーい。」としがみついてくるのを見て、いやーな予感がした。振り返ると「除霊コンビ」が生き生きとした顔をしてこちらを見ているではないか。

夜。「いい加減に寝ろよ!」という室長のこわーい一括のもと、明かりは落とされた。しばらくすると、部屋の中にあるトイレの近くに寝ていた女の子が「室長!トイレに誰か入ってますか?」と聞く。寝ている子達の頭数を数えるとちゃんと人数分いる。「んにゃ。みんな寝てるでしょ?」と答えるとその子が言った。「でもトイレで物音がするんです。」一瞬の沈黙の後、総勢15名の黄色い声が響き渡った。

「いやーん!こわーい!」「何が何が?何の音がするのー?」「きゃー!」

パニック状態になったうら若き15名を押さえるのに私は必死で、怖いなんて感じる暇もなかった。っていうかさ、ゴキブリかなんかかもしれないじゃんか!(ちなみに私はお化けよりゴキブリの方が数倍こわい)

仕方なく、「わかった、わかった、ちょっと見てくるからみんな静かにして!」そう言ってトイレに向かった私の後ろから「ちょっとまった!!!」ってねるとんじゃねぇんだよ。恐る恐る振り向くと、そこに燦然と輝く救世主の姿が!そうです、あの「除霊コンビ」!そうだ!彼女達にみてもらおう!適当に「ここにはいないわ、大丈夫。」かなんか言ってもらえばこの騒ぎも収まるだろう。さすが一歳年上室長、こんなガキンチョ達とは人生の経験が違うのよ、と思いつつ彼女達をこちらに呼んでこうささやいた。

「あのさー、悪いんだけど、ちょっとトイレ見てきてくれる?んでさぁ、ここにはお化けなんていないわよ、って言ってもらえれば助かるんだけどさぁ。」

「・・・とりあえず、私達が見てみましょう。」そう言ってパジャマ姿の奇太郎と猫娘は勇敢にもトイレを開けた。

やっとこれで寝れるよ、全く。とホッとしたのもつかの間。

息を切らした彼女達がトイレから顔をのぞかしてこう言った。

「あの、この霊、退散してくれないんですけど。なんかここが好きみたい。でも悪い霊じゃないから大丈夫。」

きゃーーー!!やっぱりいるのねーーーー!!って逆効果やんけ!

闇をつんざく15名分の黄色い声。騒ぎを聞きつけて駆け込んできた先生達に私はこっぴどくしかられたのでした。1歳年上の室長だもんね。みんなをまとめるのが私の仕事。

って、私のせいじゃないよう〜!!(涙)

これは、本当にあった、こわーい話です。除霊コンビの方がこえーよ!

20010823(Thu) ....... 恋の悩み。

昨日、友人から相談を受けた。

夫婦仲がうまく行ってないんだそうだ。

そういえば最近、私の周りでは「恋の悩み」が多発している。なんでだろう。

単なる偶然か?それとも自分が一人身になったから、まわりの恋愛関係を見渡す余裕ができたからなのか?

別に全て悩みの相談を受けたわけじゃないが、そういう話が私の周りに最近多い。みな、程度の差こそあれ、真剣に悩んでいる。話をきいていると、「別れちゃえよそんなの。」と思うこともある。だけどそんなに簡単にいかないのが恋心なんだろう。別れてしまえば簡単に済む話なんだけど、恋人を失うことの辛さを乗り越える自信がない。一人になるのが怖い。彼じゃなきゃ駄目なんだ・・。いろんな気持ちが錯誤して、結局悩み続ける日々を送ってしまう。

私が前の相方と別れた時、別れたいと思った理由はたくさんあったが、一番強く思ったのはこれ以上自分の時間を無駄にしたくないということだった。うまく行かない関係にあれやこれやと理由をつけて必死にしがみついて時間を過ごしていくことに疲れたんだと思う。うまく行っていない彼にしがみついているうちに、実は本当は自分にもっと合った人に出会っているのかもしれないのに、それを見過ごしてしまうことが怖かった。

時間は必ず過ぎていく。「どうしようどうしよう。」と思っている間に、運命の人をやり過ごしてしまったら、やり直しがきかない。私の場合は違ったけれど、例えば「彼じゃなきゃ駄目なの、彼じゃなきゃ生きていけないの。」と思っている場合があるとする。しかし、本当に「彼」じゃなきゃ駄目なんだろうか。もし、関係が駄目になりそうな相手がいた時に、彼じゃないほかの誰かが現れて、「キミが好きだ、必要なんだ」と言われたら、そちらに心が動くことは無いと言い切れるのだろうか?その相手が特に嫌いな人でない限り、わざわざうまく行っていない相手を選ぶことはないんじゃないだろうか。

相方に別れを告げた時、相方は最初それを認めなかった。「自分にはキミとの将来しか考えられない。」と言った彼に私はこう言った。「あなたを必要としていない私と一緒にいて、あなたは幸せになれるの?」

結局「あなたじゃなきゃ駄目なの」なんて幻想にすぎないんじゃないかと思う。「あなた」を失うことが怖いんじゃなくて、「あなたを失った自分」になることが怖いんじゃないんだろうか。だから、「あなた」を失う前に他の「あなた」を見つけてしまえばそれで済む場合が多いんじゃないだろうか。

何が言いたいんだかよくわからなくなってきたけど、恋だの愛だのってのは結局思い込みなんだろうと思う。「私はこの人と一緒じゃなきゃ駄目なの。」という思い込み。もし、この思い込みを取っ払ってしまうことができたら、終わりかけている関係を清算することは可能なんだろう。

だけど、その思い込みは果てしなく重い。だからみんな悩んでしまう。

ただ、いつも思うのは、一緒にいて楽しくない関係を続けていることほど非生産的なことはない、ということだ。楽しくない関係は何も生まない。そこにあるのは苦悩だけだ。つらいことがあっても、悲しいことがあっても、一緒にいて楽しいことが少しでもあれば、そこに何かが生まれるんだろうと思う。一緒に辛いことを乗り越えていけるのであれば、いつかはきっと出口が見えてくるんだろう。

けれど、一緒にいて、楽しい事がないのなら、その関係には未来は無いと思ってもいいんじゃないだろうか。その時こそ、「私はあなたがいないと駄目なの。」という思い込みを、考え直してみる必要があるんじゃないだろうか。

私は恋の百戦錬磨でもなんでもないし、誰かにアドバイスができるほど幸せでもない。でも、なんとなく思うのは、辛いことは、幸せになる為の準備なんじゃないかということ。「人生楽ありゃ苦もあるさ」って黄門さまもおっしゃってました。きっと、苦しい思いをしてみんな幸せになるんだと思う。

正しい選択、したいよねぇ。

本日は真面目モードのNico母でした。

20010824(Fri) ....... 恋の話。 その2

昨日の日記の反響がいつもよりちょっと多かったから嬉しかったのでまたもや恋の話。(結局自分がこういう話を書くのが好きなだけ。ははは)

私は基本的にいつも、好きな人ができるとすぐ結婚まで考えてしまう直球ストレート型タイプの恋愛をする。好きな人とはいつもいつも側にいたいし、朝から晩までその人のことを考えてしまう。まだ出会って数週間、の時点で既に「結婚したらどこに住もうかな?」とか「彼のお母様とはうまく行くかしら?」とか「子供の名前は二人の名前を取って・・。」などなど。そしてそれが態度に出るから始末に悪い。だいたい付き合って数週間で「二人の将来」を考え始める男なんて皆無に近いわけで、たいがい相手の男は私のそういう態度を見て引いてしまう。

こう見えても私は尽くすタイプの女なのである。彼に会うためならどんな距離でも会いに行くし、それが例え毎日のことでも全然苦ではない。彼が「会えない」なんて言った日にゃぁ大騒ぎ。「なんで!どうして!5分でもいいから会いたいから今から行く!」と叫んでクルマをとばす、なんてことはザラ。そういう時に「なんでいつも自分ばっかり会いに行かなきゃならないの?」なんてことはあまり考えない。より会いたい方が会いに行くのが当然だと思うからだ。御飯だって気合を入れて毎日作るし、自分ひとりのためなら絶対やらない掃除やら洗濯もぜーんぜん苦じゃない。

こんな私には不倫は全然向いていないと思う。以前奥さんのいる人を好きになったことがあるけれど、会いたい時に会えないひとは、私にとってかなりの苦痛で結局長続きはしなかった。「好きだ!会いたい!」と言ったら「俺も好きだ!今からすぐにでも会いに来い!」というタイプじゃないと駄目。打てば響くひと、そういう人じゃないと駄目。いつでも「好き好き」言っててくれる人じゃないと駄目。

恋愛の最初の時期はこれも可能。しかし、付き合いが長くなってくるとそうもいかない。最初の激しい感情は、普通の場合落ち着いて、のんびりしたものに変わって行く。しかし私の感情は全く変わらない。1年経っても2年経っても、「会いたい!今から会いに行く!」なのだ。これは、結構相手には苦痛になるらしい。実際、そういう事でもめたことが良くあった。「俺にも自分の時間が欲しいんだよぉ。」と泣き言を吐く彼を「なんでぇ!私と一緒でも自分の時間のしたいことすればいいじゃなーい!」と責める私。

しかし、前の相方と付き合うようになって、少し考え方を変えた。彼は自分の時間がないと苦しくなってしまう人だった。私のことを好きでも、四六時中一緒にいることはできない人だった。最初のうちは遠距離だったから、(ちなみに私は遠距離も非常に苦手だ)そんなことでもめることはなかったけど、一緒に暮らすようになって、二人の間でもめることはそればかりだった。しかし、そのうち私の方が折れた。自分のしたいことは相手が必ずしもしたい事ではないんだ、たとえそうであってもそれが愛情のバロメーターにはならないんだ、という事をやっと理解したのだ。

彼との別れを経て、やっと今「いい恋愛」ができる女になってきたんじゃないかなと思っている。愛情の押し売りは、何の意味もない。相手のペースに合わせるという事を、学んだような気がする。

次の私の運命の人とは、きっと素敵な恋愛ができるんじゃないかな。

楽しみだわーん。

20010829(Wed) ....... ごめんな母ちゃん。

この赤裸々ファミリー日記に一人だけいまだかつて登場していない人物がいるのをみなさんはお気づきでしょうか。そうです。母です。母ちゃんです。My Motherです。なんで母ちゃんのことを書かなかったというと、実は母ちゃんじきじきから「書くな」というお達しがあったから。この目立ちたがりや一家の影の番長としてはあまりにも消極的な意見だけど、実際私達の目立ちたがりや遺伝子は100%父親から遺伝されたもので、母ちゃんはとっても控えめな女性なのだ。

しかし、なぜその母ちゃんの懇願を振り切って今、ここに彼女のことを書くか、といえば。それは単なるネタ切れのせい。作家は作品のためなら家族も犠牲にするのだ。わりいな、母ちゃん。

母ちゃんは昨日も書いたとおり、在日韓国人。実はこのことも母ちゃんがあまり表ざたにしたくないことの一つなんだけど、こんなに国際派の子供を持った母ちゃんなんだから、そんな小さなことを気にしていてはこの先やっていけないと思うのであえて書いちゃいます。しかし母ちゃんは日本で生まれて日本で育った中身は完璧日本人す。キムチだって大人になるまであんまり好きじゃなかったそうな。

母ちゃんが子供の頃は、在日韓国人ということで、今になんか比べ物にならない程の差別・いじめを経験しているハズ。なんで「ハズ」かというと、実際その頃のことを母ちゃんはあまり話さないから。辛かったから話したくないのか、それとも実はすっかり忘れているのかは知らんが、あまりそのころのことは話してくれない。一つだけ彼女がよく言う事は、当時彼女をいじめていたクラスの男の子を、ドッヂボールの授業の時に思いっきりボールをぶつけてやってすっきりした、という事だけ。その話をする(これがまた何度も何度もするんだな)時の母ちゃんは本当に嬉しそうで、その短い話の裏にきっと辛いことがたくさんあったんだろうな、と推測する子供達でありました。

母ちゃんは、娘の私が言うのもなんですが、なかなかの美人。昔は「あながが噛んだ♪小指が痛い♪」で有名(?)な伊藤ゆかりに似ているとよく言われた。50を過ぎた今でも後ろからみると「お?モデルか?」と思われるほどスタイルがよろしい。(彼女は「私はバックシャン(後ろ美人)なのよ」という言葉を好んで使います。)残念ながら私は父ちゃんの遺伝子をモロに遺伝してしまったらしく、母ちゃんの面影は私の顔にはない。せめて二重が遺伝してくれれば・・・。(涙)

母ちゃんは典型的な「尽くす女」。と、いうか、結婚して35年も経っていながら、母ちゃんはいまだに父ちゃんに「メロメロ」。父ちゃんの講演を見ては「壇上に立っているお父さんって、かっこいいわねぇ。」と目をハートにして私達に同意を求める。子供達から見てみると足のしびれを隠しながらひょこひょこと壇上に上がる父をどうみてもかっこいいとは言いがたいのだが、母ちゃんにはその父がとてもダンディにうつるらしい。アバタもえくぼが35年も続くってのはある意味すごいことだといつも感心させられる。

私達3人の子供達はあまり母ちゃんに育てられた、という実感がない。なぜかと言うと、母ちゃんの目には基本的に父ちゃんしか映っていないから。母ちゃんは父ちゃんと喧嘩すると子供の前だとかなんとか一切無視して身も世もなく泣き崩れる。夕御飯も父ちゃんがいるときは父ちゃんの好きなものが中心。父ちゃんも、母ちゃんしか見ていない。こんなことをいうと、「よくグレなかったわね。」と言われたりするけど、夕御飯の真っ最中に突然「お母さん、愛してるよ。」なんていわれて真っ赤になる母ちゃんをみたり、居間でチューしている二人を目撃したりすると、グレてやろうという気もおきない。だってグレたってきっと気付かれないと思うしね。

母ちゃんのような男の愛し方は私にはとうていできないけれど、母ちゃんから学んだことはたくさんある。その最たるものは、いつも、どんな時も、明るく笑顔で。辛い時こそ、笑顔で。そして愛した人にはとことん尽くす。行儀作法は何一つ教えてもらわなかったけど、生きて行くために一番大事なことを母ちゃんから学んだと思ってる。

ごめんな、母ちゃん。書いちゃったよ。(笑)

20010903(Mon) ....... 踏んだり蹴ったり。

風邪引いた。

なーんか朝おきたら熱っぽい。

でもいつも熱っぽいから、これが風邪なのかなんだか良くわからない。

おきて少したってから、ちょっと鼻が詰まってることに気がつき、なんとなく喉が痛いことにも気がつき、そしてだるいことに気がついて、これで正真正銘の風邪と判断されました。

しかし。うちの部屋はいまだにヒーターがぶっ壊れている。4月くらいからだからかれこれ5ヶ月はもう壊れっぱなし。壊れてからしばらくの間はうるさく大家に言ったし、当時の相方も何度か言ってくれたけど、そのうち暖かくなってきてしまい、私もその後のプッシュを忘れ、今のところ大家の粘り勝ちとなっている。しょうがないから今朝は以前買った簡易ヒーターをつけるが、この家は石の家なので足元から寒さがシンシンと伝わってくる。

まるでだるまのような格好で咳き込みながら仕事をしていたら手紙が届いた。数枚の注文の手紙に混じった、いやーな青い封筒。なんで「いやーな」なのかというと、この青い封筒は税務署からの手紙なのだ。この青い封筒に入ってきた手紙にいい知らせが入っていたためしがない。大した事もしてくれないくせに、税金だけはしっかり取りやがる。ちっ。ついこの間も去年の法人税という事で日本円にして100万近い税金を払わされた。

なんだよー。具合が悪いっつ〜のに、今度は何払えって言うんだよ・・とぶつぶついいながら封筒を開ける。でてきたのはまたもや請求書。いったい今度は何の税金だ?とオランダ語で書いてある手紙を苦労して訳していくと・・。あれ?これ、法人税じゃん。なんでだよ。こないだ払ったばっかりじゃん。間違いか?ん?まてよ?2001年度って書いてあるぞ?なんでまだ終わってない年の法人税を請求されなきゃいけないんだ???

頭の中クエスチョンマーク一杯になったので仕方なく会計士に手紙をファックスして、この電話している時間もしっかりチャージされるんだからな!間違いだったら税務署にその分請求してやる!と思いつつ電話をかける。

私「あのー、ファックス見てもらいましたー?なんか今年の分の法人税もう請求されてるんですけど。はははー。」

会計士「ああ、これですね、オランダでは次年度の分も前払いしなくちゃいけないんですよ。」

私「は?税金の前払いですか?だって、今年がいくら儲かるかなんか、まだわかんないじゃないですか!どうやって計算してるんですか?」

会計士「去年の税金と同じ金額に少しプラスした感じですね。」

私「この前100万払ったばっかりなのに、また100万近くはらえっつーんですか、あなたの国の税務署は!それでうちの会社つぶれちゃったらどうするんですか!」

会計士「その税金を払ってもらったから、税務署としては、払えるうちに来年のも払っといてもらおうと言う考え方なんでしょうねぇ。」

私「・・・やだって言ったらどうするんですか。」

会計士「異議申し立てはできますけどね、去年より売上が下がるっていう証拠を提出しなくちゃいけないんですけど、できます?」

私「そんな証拠なんてありませんよ!」

会計士「でしょうねぇ。じゃ、しょうがないんじゃないですか。いいじゃないですか。これで来年度の分払っちゃえば来年楽ですよー。」

なんじゃそりゃ。どういう制度やねん。

なんでまだ儲かってもいない分の税金今はらわなならんのや!

その分なんかしてくれんのか、この国はーーーーーー!!!!!

いかん、さらに具合が悪くなってきた・・。

20010905(Wed) ....... なんでこんなについてないんだ。

昨日の夕方、それは突然起こった。

渋滞中の高速道路を走っている最中に、温度計が上昇していることに気がついた。

あれ?と思ったとたん警告灯が点滅。なんだ?なんでこんなに温度が上がってるんだ?と思いつつ走らせていると、ボンネットから煙が!ぎゃー!なんだこりゃー!オーバーヒートだぁ!煙はどんどん濃くなってくる。慌ててハザードを出して路肩に車を停める。

交通量があまりにも多く、外に出ることもできない。そして回りには非常電話も見当たらない。慌ててピンチェママに電話をする。以前彼女が高速で車が止まってしまったことがあると話していたことを思い出したからだ。電話に出た彼女にあわただしく事情を説明し、ANWB(日本でのJAFみたいなもの)の電話番号をきき、ANWBに電話をする。

「すぐそちらにメカニックを送ります。動かないで待っててください。」っていわれても動けないんだよー。(涙)

私の車の横を10cmくらいの幅でトラックや他の車が追い越していく。振動でびりびりと窓が揺れる。折り悪く天気もどんどん悪くなってきて、雨がすごい勢いで降り出す。気温も下がってくるが、エンジンをかけるわけにも行かず、車の中で寒さと恐怖に震える私。あまりの不安感にパニックになりつつあるのを感じ、慌ててとしみちゃんに電話をする。

としみちゃんの甲高い声を聞き、彼女の相方の「どうして洋子にはいつも悪い事ばっかりおきるんだろうねぇー。I am soooooo sorry for you!」というふざけた、しかしやさしい同情の声を聞いていたら少し不安が取れた。

それでも私を救うはずの黄色いANWBの車はなかなかこない。車に閉じ込められてから1時間半が経過し、またもやパニックになりつつあるのを感じたその瞬間、私の車の前に黄色く輝くレスキュー車が静かに停まった!「助かった!」大げさではなく、本当に涙が出そうになるくらい安心した瞬間だった。

さっそうと車から降りてきたオランダ人の王子様。(あの状況では彼は王子様以外の何者でもない!)助手席がわに回ってドアを開ける。

「ずいぶん危ないところに車を停めているね。ここでは修理ができないから、もう少し安全なところに車を牽引していくね。」

ぶんぶんとうなずく私に彼はやさしく一言こう言った。

「待たせてごめんね。怖かったでしょう?もう少しの辛抱だから。」

その瞬間、私は普段ならじゃがいもにしか見えないであろう彼に恋に落ちた。

牽引後、車をおりて私のところに戻ってきた彼はまたもややさしくこう言ってくれた。

「今度、こういう事があったら、電話で自分はとても危険なところに止まっている、と言わなきゃ駄目だよ。そうしたらもっと早く誰かが助けにきてくれるから。車なんかより、君の命の方が何倍も大事でしょう?」

くぅぅぅぅぅ!結婚してくれぇ!!!チューしていい?と思わずいいそうになった時に彼の薬指に光る結婚指輪を見つけてがっかり。そうよね、いい男はみんなお手つきなのね。

ざんざん振る雨の中、彼はびしょぬれになりながら修理をはじめた。しかしあまりにも雨がひどいので、応急処置だけして私に後をついてくるように言った。ついていった先はANWBの修理工場。

そこでも彼は至極丁寧に車を点検し、寒さに震えている私にコーヒーまで出してくれるなど、完璧な紳士で通した。(あたりまえだっつーの。)女ってのはこういうシチュエーションにとことん弱いね。彼の髪から滴り落ちる雨がキラキラ光って、完璧ロマンス映画状態の私。「恋に落ちるきっかけって何でもありなのね。」なんて思いつつ待っていたら、「駄目だぁ。」と彼。

何々?

「ホースがいかれちゃってます。ここでは修理できないから応急処置だけだね。ごめんね。力になれなくって。」

「いえいえとんでもない。あなたが来てくれなかったら、私は今ごろどうなってたことか・・。」

「じゃ、そういうわけで300ギルダーいただきます。」

ここで我に返った私。

何やっとんじゃい。

よく見ると、じゃがいもだよ、やっぱり。

かーえろっと。

20010912(Wed) ....... なぜ。

としみちゃんとともこちゃんと家でおしゃべりしながらテレビを見ていた。

すると携帯に父からの電話。興奮した父が「CNNをつけろ!」と言う。なんだ?と思いつつ、CNNをつけると、そこには見慣れたNYのワールドトレードセンターが炎上している映像が。何?何が起きたの?

3人でテレビにくぎ付けになる。民間飛行機がツインタワーの手前のビルに突っ込んでいく映像を見て言葉を失う。ニュースで、これは事故ではなく、テロ行為だという事を知って愕然とする。その上国防省のペンタゴンにも飛行機が墜落しているらしい。

私は去年の今ごろ、元相方と一緒にNYにいた。ワールドトレードセンターにも当然行った。5万人が働き、一日15万人の観光客が訪れるというワールドトレードセンターは活気にあふれ、たくさんの人たちがビルの中を行き来していたのを覚えている。ワールドトレードセンターの周りは自由の女神を見に行くために乗るフェリー乗り場や、ウォールストリートなど、ビジネスセンターや観光の名所が集中している場所だ。

そのワールドトレードセンターが、私達の前のテレビの中で崩壊した。まるで映画のワンシーンのように、ゆっくりと、しかし確実に壊れていった。初めに後ろのビル、そして次に手前のビル。その瞬間、あの中には何千人という人たちが墜落の衝撃から逃れようと右往左往していたに違いない。背後に燃え盛る火から逃れようと、ビルの窓からどんどん飛び降りていく人たちの映像もあった。

ワールドトレードセンターに激突した民間飛行機は2機。他の一機がペンタゴンに激突し、さらにもう一機がペンシルバニアというワシントンDCNYの間にある場所で墜落している。これもハイジャックの上の墜落だそうだ。ハイジャックされてからビルに激突するまでの間、乗員乗客はどんな状態だったのだろう。目の前にビルが見えた瞬間、ペンタゴンに落ちていった瞬間、彼らはどんな心情だったのだろうと考えると身震いがする。

世界各国がアメリカに同情とお悔やみの意を表明している中、イラクだけが、この同時多発テロを「世紀の作戦」と賞賛し、「米国のカウボーイは人道に対する罪の報いを受けた」と伝えたという。

人間はどこまで醜くなれるのか。

例えどのような理由があるにせよ、何の関係のない人たちを自分達の私利私欲のために無差別に殺してしまうことを肯定して良い訳がない。そんなあたりまえのことも理解できない人間は人間として生きている資格がない。

なぜこんなことができるのか。

このテロを計画して実行した人たちは国籍も、話す言葉も育った環境は違っても、手を切ってみれば私とおなじ赤い血が流れているはずなのに。この事件で死んでしまったたくさんの人たちと同じように。

なぜ?

そればかり繰り返し考えている。

20010913(Thu) .......結婚式の夢。

結婚式の夢をみた。

と、いっても私自身の結婚式の夢ではなかったが。(残念!)

私は昔、ディズニーランドの裏にあるホテル群の一つで、宴会のアルバイトをしていたことがある。私が見たのはそのころの夢だ。

結婚式は人生の一生に一度(とそのときは誰でもそう思う)の晴れ舞台だ。今まで脇役街道まっしぐらだった人も、その日だけは主役になれる。それだけに

結婚式はいろんなことが起こって面白い。

基本的に私の働いていたホテルでの結婚式は玉姫殿や日本閣のような結婚式場で行われる派手なものとは違って、非常にオーソドックスだ。まずホテル内のチャペルか神殿で身内だけで式が行われ、その後披露宴に入る。披露宴は2時間半から3時間。スモークもなければゴンドラもない。しかし、一生に一度のイベントだからと、限られた施設や設備の中で、「自分達らしい」結婚式を行おうと、新郎新婦側はいろんなアイディアを考える。

それでも、アレンジできることなど限られている。音楽を変えたり照明を変えたり、ビデオやスライドショーやゲームをするぐらいのものだ。思わず笑ってしまったのは「宇宙戦艦ヤマト」で入場した新郎新婦。旦那が宇宙戦艦ヤマトの熱烈ファンだったとか。客のスピーチで、その新郎新婦がお互いを「古代君」「雪」と呼び合ってることが判明して、笑いを取っていた。また、「軍艦マーチ」で入場した新郎新婦もいる。二人ともパチンコ狂で、出会いは当然パチンコ屋だったそうだ。

どう見てもできちゃった結婚、の若いカップルの披露宴で仲人が言った一言。「えー、何々君は何々中学校を優秀な成績で卒業され・・。」ってそれは言わない方がいいんじゃないかと心配になった。(笑)よくありがちだが、新郎の友人のスピーチで過去の浮気をばらしちゃった人。「何々君が同僚の女性とディズニーランドに行ったことが発覚した時も、新婦の何々さんは寛大な態度でこれを許し・・。」こんな友人にスピーチやらすなよ。

私達宴会で働いているウェートレスやウェイターの他にも、介添えさんという新婦の世話をするおばさん達がいる。彼女達の話も面白い。彼女達はとにかく新郎新婦を持ち上げることが鉄則。例えそれほど美しくない人たちでも、ウェディングドレスや内掛けを身に付けたら、「おきれぃですわぁ。」と言わなければいけない。しかし、まるでお相撲さんのようにがっしりとした体系をしていたある新婦さんについた介添えさんが、思わず内掛けをきた彼女に、「ご立派ですねぇ。」と言ってしまって顰蹙を買ってしまったとか。彼女いわく、「でも、どうしてもおきれいですねぇ、って言えなかったのよ!」(笑)

他にも、披露宴で緊張のあまり倒れてしまった新婦や式の間中なぜかずーっと泣きつづけていた女性客(新郎側の友人・・あやしい・・。)やお色直しにでたまま帰ってこなかった新婦、高砂(新郎新婦が座る場所)で喧嘩をはじめた新郎新婦や、妊娠していることを隠して式に出て、高砂で吐いてしまった新婦や、お色直しを8回した新婦(中にはコスプレっぽい衣装も入っていた)「クヤシィ。レンラクマツ。」という御祝い(?)電報を読んでしまった司会者など、悲喜交々なドラマが繰り広げられていた。

今でも印象に残っている素敵な披露宴が一つある。

新郎はピアニスト、新婦がバイオリニストだった。普段なら花やローソクなどで飾り立てられたテーブルが並ぶ会場に、そのときは壁にそって椅子しか置いていなく、部屋の真中にグランドピアノ。新郎新婦入場はなく、お客さんを新郎新婦が演奏して迎えた。食事は立食で、特に司会進行もなく和気藹々と客が話し合っているだけ。ときおり新郎新婦を混ぜて、彼らの友人の音楽家達が客のリクエストに答えて演奏をする。派手なことはなにもない、でも心温まる式だった。

何百回も他人の披露宴をみて思ったこと。

披露宴は楽しい。でも私は披露宴はしないなぁ。

20010914(Fri) ....... 戦いは続く。

うちのアパートのヒーターがぶっ壊れていることはもうこの日記で何度も書いたから皆様ご存知ですね。ところが、今週になって、外出から帰ってきてみると、ヒーターが直っていた。壊れた時に全開にしたままだったので、家の中は蒸し風呂のようになっており、その中でNicoがぐったりと石の床の上に寝そべっていた。ごめんよー。

最近寒くなってきていたので、間に合わせのために買った非常用ヒーターではだんだんきつくなってきていた矢先だったから、嬉しかった。何が起きたかは知らないが、やっと直してくれたんだわ。長い間あきらめずにぐちぐちいっておいてよかったなぁ。

上機嫌のままシャワーを浴びようとシャワーに入った。

冷たい。いつまでたっても水が冷たい。お湯にならない。

おい。どーゆーことだ。ヒーターが直ったらシャワーが使えねぇのか。

あああ。なぜなんだ。

大家に電話して留守番電話にがなり立てる。英語がわかろうがわかるまいがかまうもんか。とにかく怒ってるってことはわかるだろう。

そして次の日、シャワーが直っていた。やっぱり怒鳴ってみるもんだと実感しつつ、居間に行ってテレビをつけると、「ざーーーーーー。」砂の嵐。ケーブルはつながっている。テレビが壊れているわけじゃない。

そーか。次はこうきたか。いいわい。テレビなんて。みねぇよ!

そして本日。朝起きてテレビをつけてみる。CNNの画面が例の事件を映し出している。直った!あー、良かった。週末にテレビがないのは辛いもんね。なんかちょっと冷えるなぁ。ヒーターでもつけようか・・。

そしてヒーターが壊れていた。振り出しに戻る。

20010917(Mon) ....... 継続は力なり。

ちょくちょく遊びに行っている、イギリス在住のめーたんさんのホームページに、うちのホームページのリンクを張ってもらえることができた。めーたんさんのホームページは、こりゃまた抱腹絶倒物のイギリス生活&世界で出会った変わった人たちについてのエッセイが満載されている。読むたびに腹を抱えて笑って、「私にもこんな表現力があったらなぁ。」と彼女の才能をいつもうらやんでいたから、そのホームページにリンクが張ってもらえてとても嬉しかった。

しかし、そのリンク紹介文に「日記が中心の・・」とある。そうか。うちは日記が中心のホームページだったんだと愕然とする。このホームページを作り始めたとき、うちのNicoの可愛さを、より多くの人たちに知ってもらいたいと考え、写真中心のホームページにしようと思っていた。初めのころは日記なんてなかったし。そしてついでにオランダ関係の写真や情報も入れちゃおうなんて胸膨らませていたもんだ。

なのに、考えてみたら「今週のNico」は「隔週のNico」になり、今では「今月のNico」になってしまった。張り切って作り始めたはずのライデンのページも更新はすっかりご無沙汰。先週あれほど多かったアクセス数も今ではすっかり以前の数と同じに戻った。それは、来てみたはいいものの、「おもしろくなーい。」からリピーターにはならなかった、という事なのだ。

あああ。せっかくのチャンスだったのにぃ。ヤフーのめがねマークや「アクセスランキング王」上位くいこみ、はたまた週刊インターネットへの紙上掲載も自ら逃してしまったのだ・・・。

だいたい、私は飽きっぽい。

小学校の時に行ったお稽古事はことごとく途中でやめてしまった。

エレクトーンは先生と喧嘩して、お習字は隣の子の顔に墨で○を書いて喧嘩して、公文教室は騒ぎすぎて他の生徒に迷惑だと先生に首にされ、通わしてくれるように泣いて頼んだスイミングスクールも「つまらん」という理由でやめた。学校の部活も同じく。

好きな人に関してもそうだ。燃え上がる時はまるでガソリンをかけられたダンボールの山のように一気に燃え上がるのに、ある日突然飽きがくる。その前日まで「好き好き光線」を飛ばしまくっていたのに、ふっ。と飽きが来て、「ごめんなさい、もう好きじゃない。」になってしまう。言われた方は晴天の霹靂。なんてったって前の日まで「お嫁さんにしてぇ!」攻撃を激しく繰り返していたのに。まあ、好きな人の場合は飽きるまでのスパンは結構長いんだけれども、「飽きる瞬間」はある日突然おとづれる。

話がかなり横にそれたが、このままではいかん!この飽きっぽい性格を何とかせねば!とりあえず、オランダのページから取り掛かるか?それともNicoの写真を更新するべきなのか?新しい企画を考えるべきか・・・。

腹減ったなぁ。とりあえずランチにしようっと♪

20010918(Tue) ....... 毎度おなじみ・・。

風邪を引きました。

なんでこう、しょっちゅう風邪ひいてんのかね、私は!

基本的に平熱が高いから熱があってもそれほど辛くは無いんだけど、だるいのがねぇ。昨日よりはずいぶん良くなりましたが、今日は咳と喉の痛みに悩まされております。風邪を引かない方法を誰か教えてくれー。

寒風摩擦か?しかし庭が無いからなぁ。家の前の道で寒風摩擦なんてしてたらきっと警察に通報されちまう。京子ちゃんいわく、私はよく腹を出してるからだ、だから腹巻しろって言うんだけど、腹巻なんて売ってんのかい。っつーか、腹巻なんてしてたらお嫁に行く日がさらに遠ざかる・・。(;_;)

前付き合っていた男で、それはそれはマメな男がおりました。

風邪を引いて寝込んだ時に、「今日は俺がご飯を作るよ。」と台所に立ってくれ、その間もお茶を入れてくれたり、ちょくちょく見に来ては「大丈夫?」ときいてくれたり。そして作ってくれた夕飯は炊き込み御飯だった。すごーい。ちゃんとごぼうもささがきになってるわ!いただきもののあさりの佃煮なんかも入ってるし、アイディアもグッド!その上、前の日の残りの餃子を使って水餃子まで作ってくれた。感動しまくり。

こんな男が旦那になってくれたらなぁ。と本気で思ったもんです。その人は、私に負けず劣らずの日本人には珍しい、愛情表現たっぷり男性でした。人前でも全然気にせずにチューするし、いつも私のどこかに彼の手がある。さすがに友達の前ではそういう事はしなかったけれど、それでもいつも私の後ろに立っていた。そうすると、前にいる友達にわからないように後ろで私の手を握ってられるから。

こういうあからさまな愛情表現って、女としてとても嬉しいね。「愛されてるなぁ。」って四六時中感じてられる。「愛してる」とか「大好き」とかいう言葉を素直に照れもせず言える男の人。素晴らしいと思います。女ってのは感情の動物ですから、どんなにクールにしてる女性だって、好きな人と二人きりの時は、愛情を感じていたい。特に私は例えば、彼がファミコンかなんかで遊んでいる時にはそのファミコンにすら嫉妬を感じてしまうほどのやきもち焼きだから、他の人の倍以上の愛情表現が必要になってくる。だけど、そのファミコンの最中だって、思い出したように手を握ってくれたり頭をなでてくれたりするだけでめっちゃ幸せな気分になれるもんです。

日本人男性は、感情を表すのは日本男児としては恥ずかしいことだ!なんていう考えがまだ根付いているのかどうかはしらんが、「らぶらぶ」の時期がすぎると釣った魚に餌をやらない人がとかく多い。好きな人に好きだという事がどれだけ難しいのか私には全然わかりませんが、そういう努力って例えどれだけ二人の間に時間が経っていても大事なことだと思うのね。超能力者じゃないんだから、言葉にされなきゃわからんことは、うん十年一緒にいる夫婦の間にだってあるはずなんだから。「愛してる」って一言で、好きな人が幸せな気持ちになってくれるなら、そんな簡単な努力、惜しむ必要もあるまいに。

そんなわけで、そういう男性と付き合っていると、風邪を引くのも楽しかった。風邪で弱っている可哀想な彼女をいつもの倍の愛情で包んでくれちゃうわけですから、こんなんだったら毎日風邪でもいいわ!なんて思っちゃったりしてね。

私の「元彼」達にはロクなのがおらんな!と思われていた方々、いたんですよ、実は。私にも、自慢できる「元彼」が。おほほ。ま、「元」になっちゃ元も子もありませんがね。(涙)

20010920(Thu) ....... 風邪ひいてましてん

月曜日に風邪ひいたー、って書いてから夜になって悪化した。

夜中に激しい咳と焼け付くようなのどの痛みと息苦しさでで目を覚ました。喉がはれ上がっているのが外からでもわかるほどひどい。腫れのせいで息がうまくできなくて、そのまま呼吸困難になるかと不安になった。

喉の痛みを押さえるためバファリンを2錠のみ、1時間ほど部屋をうろうろしたり、水を飲んだり、気休めに本を読んだりしてみたが、なかなか痛みも咳も収まらない。恐怖で体が震える。もし、息ができなくなったら・・。オランダの119番って何番だっけ・・。そんなことが頭をよぎる。

ようやく朝方になって咳も収まりはじめ、喉の痛みも和らいでき、そのまま眠りに落ちた。しかしまた激しい咳で目を覚ます。喉がまるで喘息の症状のようにヒューヒュー鳴る。時計を見ると8時過ぎ。今なら医者も開いている。確かオランダの医者は8時から9時の間まで予約が無くても見てもらえるところがおおいはずだと思い出し、よろよろとベットを這い出して服を着替え、外に出た。

外は土砂降りの雨。ヒューヒュー鳴る喉を押さえながらのろのろと近所の医者に向かう。吹き付ける風が弱った体をさらに凍えさせる。震えが止まらない。

ようやく医者に辿り着くと、待合室にはたった一人。これならすぐ診てくれそうだ・・と安堵しながら受付にいたお姉さんに声をかける。

私「すみません、ちょっと具合が悪いんで診てもらえませんか?」

受付「予約はありますか?」

私「え・・。8時から9時の間は予約無しで診て貰えるんじゃないですか?」

受付「いーえ、ここではそれはやってません。」

私「でも、かなりひどいんですけれど・・・。」

ちなみに言っておきますが、このとき私の声はほとんど出ていなかった。喉の痛みのせいで声をだすことができなかったからだ。呼吸も「ぜーぜー」という感じであった。

受付「けど、予約がないと、みれません。」

私「じゃあ、この辺のお医者で予約無しで診てもらえるところをご存知ないですか?」

受付「この辺では無いですよ。」

私「じゃあどうすればいいんですか。すごく辛いんですけど!」

受付「改めて予約を取ってもらうか、あとは救急病院ですね。」

とりつくしまもない、私の呼吸困難の様子もものともしない、受付のお姉ちゃんに圧倒されて私は医者を出た。

なんて国だ。予約予約って、人が死にそうなのに、このまま肺炎にでもなって死んじまったらどうしてくれるんだ!(大げさ)そしたらあの病院ぜったい訴えてやる!

一瞬救急病院にいくことも考えたけれど、救急病院はひたすら待たされることを以前の経験から知っているため、どうしても行く気になれない。待合で座ったまままってるくらいなら家のベットでひゅーひゅー言いながら寝てるほうがましだと思い直し、家に戻る。

めちゃめちゃ腹が立っているせいか、喉の痛みをあまり感じない。そのまま不貞寝した。

数時間後に起きてみると、喉の痛みも幾分和らぎ、呼吸も楽になっている。あーよかったと思う反面、大したことにならなかったことにちと不満も感じる。これ見よがしに救急車でもよんでやれればよかったのに。

そんなわけで一夜明けて大分体も元に戻ってきました。明日はスイス出張だからこのまま体調を元にもどさんとね。

しかし、腹立つなー、オランダの医者!

それではみなさま良い週末を。風邪なんかひいちゃだめよーん。

20010925(Tue) ....... ♪どぶねーずみ、みたいにぃぃぃ♪

昨日はカラオケ屋でバイトの日。

本当は先週で辞めていたはずのとしみんが、「やっぱり今日は暇だから仕事に入る!」という事になり、またもやゴールデンコンビでご出勤。(黄金色に焼けているからゴールデンコンビ?!)

いやぁ、昨日のお客さんたちもすごかった。

まず、うちの掲示板でもおなじみの恭子ちゃん。別名怪獣母ですね。

怪獣君を怪獣父に預けて、久しぶりのカラオケ、と張りきっていらっしゃいました。大体ああいったカラオケバーに一人で来る人は恥ずかしがっちゃって歌をほとんど歌わないのが定説なんですが、恭子ちゃんは、並み居る駐在員達を前に、山本リンダの「どうにもとまらない」を堂々と(そしてお客さんからリクエストされれば振り付けもつけて)歌い上げておりました。拍手。恭子ちゃん、他のお客さんたちから大好評で「あの子はお店で働いてないの?」と残念がる男性達がたくさんいたため、カラオケ屋のママが「彼女うちで働く気はないかしら?」ときく始末。恭子ちゃん、あなたご指名ナンバーワンになれるかも?

昨日の団体のお客さんたちは、私達従業員が普段苦手にしているお客さん。なぜかっていうと、そのグループの中のお偉いさんが、「うるさい」のが苦手な方で、店に来て一番初めにきく事は「今日、うるさい?」。カラオケ屋にきて「うるさい?」っていうのもなんだと思うけど、このお客さんは、ほんとにうるさいのが苦手らしく、他のお客さんたちがカラオケで盛り上がってると、例え席についたのが10分前でも「もういい。」といって帰ってしまう。

しかし、昨日はいつもより大人数という事もあってか、お店はそれなりに騒がしかったものの、長時間座っていらっしゃいました。そのお偉いさんたちの席と、平社員(らしき人たち若者)たちと、別々に座っていたんだけど、お偉いさんたちがコテコテの演歌を歌い始めると、その平社員達が一斉に掛け声と拍手で迎える。歌の途中で「すばらしい!」「さすが!」という感嘆符が飛び交い、歌の最後は割れんばかりの拍手。その平社員達に歌を薦めると、「私達の歌は今日は入れないで下さい。」と、本当に帰るまで一曲も歌わなかった。

いまどき日本でも珍しいサラリーマンのお手本みたいな人たちに、私達も感動(?)。

他のグループは、常連さんたちなんだけど、なぜか今日は皆さん奥様連れ。奥様連れだと常連さんたちのいつもの元気が全くなくて、なんだかおかしい。きっと毎晩のみ歩いている旦那達に奥様達が結託して「今度は私達も連れてってください!!!」って迫ったんだろうなぁ。奥様達はきゃっきゃっ言いながら楽しそうにしてましたが。そのうちの常連さんの一人が、私を捕まえて「洋子ちゃん・・。」って声をかけたんだけど、奥さんがそれに気がついてこちらをちらり。するとその常連さん、「あ、なんでもない。」(笑)そんなにびくびくしなくてもねぇ。

昨日はそれぞれのお客さんみなハイテンションで、歌も大いにうたい、大変盛り上がっていたんだけど、私の個人的な昨日の優勝者(?)は、むろでしょう。暇暇駐在のむろはたまに一人でカラオケ屋にやってくるんだけど、ほとんど歌は歌わない。としみんが「野口吾郎ににてる」というだけの理由で「私鉄沿線」なんかを歌わせたりしていたけど(ちなみにこれは大変よく似ている)、基本的にはいつも静かに飲んでいる。彼の持ち歌は「メモリーグラス」だのテレサテンだの、ちょっとオネェ様系の歌が多いと思っていたら、なんと昨日、かれは突然ブルーハーツの「リンダリンダ」を歌い始めた。

彼は、ステージで跳ねていた。叫んでいた。とんでいた。みんなとってもびっくりした。私も、としみんも、怪獣母も、途中参加してきた怪獣父も、「唖然」。他の酔っ払い達は彼のパフォーマンスにノリまくり、一緒にシャウトしていた。普段の静か、というか、眠そう、というか、ぼーっとしてるむろからは想像できないほどのエネルギーでした。

うっぷんたまってるのね、あなたも。

しかし、なかなかの見ものでしたので、機会があったらみなさんもぜひむろに「リンダリンダ」を歌ってもらってください。ぶっとぶよー。

私はもういいですけどね。(笑)

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